大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)242号 判決 1989年8月07日
原告 大矢義孝ほか一五七名(別紙原告目録一ないし九記載のとおり)
右訴訟代理人弁護士 永岡昇司
同 臼田和雄
同 須田政勝
同 原田 豊
同 西本 徹
同 大櫛和雄
同 谷田豊一
同 峯田勝次
同 海川道郎
甲・乙・丙事件被告(以下単に「被告」という。) 大阪市
右代表者市長 西尾正也
右訴訟代理人弁護士 色川幸太郎
同 中山晴久
同 高坂敬三
同 間石成人
甲事件被告(以下単に「被告」という。) 株式会社白石(旧商号白石基礎工事株式会社)
右代表者代表取締役 白石孝誼
右訴訟代理人弁護士 木原邦夫
同 木原康子
同 山口康雄
右訴訟復代理人弁護士 三野久光
同 山田拓男
甲・乙・丙事件被告(以下単に「被告」という。) 西松建設株式会社
右代表者代表取締役 柴田 平
右訴訟代理人弁護士 樋口庄司
同 豊倉元子
右訴訟復代理人弁護士 石田晶男
甲・乙事件被告(以下単に「被告」という。) 株式会社松村組
右代表者代表取締役 松村雄三
右訴訟代理人弁護士 井岡三郎
同 鈴江 勝
同 宿 敏幸
同 西村陽子
右訴訟復代理人弁護士 山尾哲也
同 辻口信良
甲・乙・丙事件被告(以下単に「被告」という。) 栗本建設工業株式会社
右代表者代表取締役 野田耕三
右訴訟代理人弁護士 松原倉敏
同 伴純之介
右訴訟復代理人弁護士 清金愼治
主文
一 被告大阪市及び被告株式会社白石は、各自、別紙認容金額目録一の一記載の原告らに対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員、及び同金員のうち、同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から、同目録「<2>」欄記載の各金員に対し、被告大阪市は昭和五五年一二月二一日から、被告株式会社白石は昭和五五年一二月二三日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
被告大阪市は、別紙認容金額目録一の二記載の原告らに対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員、及び同金員のうち、同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告大阪市及び被告西松建設株式会社は、各自、別紙認容金額目録二の一記載の原告らに対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員、及び同金員のうち、同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から、同目録「<2>」欄記載の各金員に対し、同目録欄記載の原告番号一四三、一四五、一四八、一四九番の原告らについて、被告大阪市は昭和五九年一月二五日から、被告西松建設株式会社は昭和五九年一月二六日から、その余の原告らについて、被告大阪市は昭和五五年一二月二一日から、被告西松建設株式会社は昭和五五年一二月二三日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
被告大阪市は、別紙認容金額目録二の二記載の原告らに対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員、及び同金員のうち、同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告大阪市及び被告株式会社松村組は、各自、別紙認容金額目録三の一記載の原告らに対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員、及び同金員のうち、同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から、同目録「<2>」欄記載の各金員に対する昭和五五年一二月二一日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
被告大阪市は、別紙認容金額目録三の二記載の原告らに対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員、及び同金員のうち、同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告大阪市及び被告栗本建設工業株式会社は、各自、別紙認容金額目録四の一記載の原告らに対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員、及び同金員のうち、同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から、同目録「<2>」欄記載の各金員に対し、同目録記載の原告番号一五〇ないし一五二番の原告らについて昭和五九年一月二五日から、その余の原告らについて昭和五五年一二月二一日から各支払済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。
被告大阪市は、別紙認容金額目録四の二記載の原告らに対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員、及び同金員のうち、同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
五 原告森茂雄の請求及びその余の原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
六 訴訟費用中、別紙認容金額目録一ないし四の各一、二記載の原告らと被告らとの間に生じた分はこれを八分し、その五は同原告らの、その二は被告大阪市の、その一はその余の被告らの各負担とし、原告森茂雄と被告大阪市及び被告栗本建設工業株式会社間に生じた分は同原告の負担とする。
七 この判決は右一ないし四項に限り仮に執行することができる。
理由
第一 書証等の形式的証拠力について<省略>
第二 当事者について
一 原告ら
1 争いのない事実
原告らの工事期間中の居住関係(請求原因第一の一1)、提訴前の相続関係(請求原因第一の一2)、提訴後の相続関係(請求原因第一の一3)、家屋所有関係(請求原因第一の一4)については、次の各事実を除いて当事者間に争いがない。
2 工事期間中の居住関係
(一) 原告北本良三(原告番号五番)
同原告が本件沿道にその主張の頃昼間居住していたことは当事者間に争いがなく、また、<証拠>を総合すれば、同原告は昭和三七年以降現在まで夜間も本件沿道に居住していることが認められ、この認定に反する証拠はない。したがって、同原告は本件地下鉄工事期間中は昼夜共本件沿道に居住していたものといえる。
(二) 原告北本倫子(原告番号六番)・原告北本洋子(原告番号七番)
<証拠>を総合すれば、同原告らは昭和三七年以降本件地下鉄工事期間も含め現在まで本件沿道に居住していることが認められ、この認定に反する証拠はない。
(三) 原告荒井りさ(原告番号一五番)
<証拠>を総合すれば、同原告は昭和四二年六月頃以降本件地下鉄工事期間中を含め現在に至るまで本件沿道に居住していることが認められ、この認定に反する証拠はない。
(四) 承継前原告根耒正二(原告番号二七番)・原告根耒俊子(原告番号二八番)
<証拠>を総合すれば、同原告らは昭和四七年五月頃から本件地下鉄工事期間中も含め昭和五七年八月頃まで本件沿道に居住していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(五) 原告尾中清治(原告番号三九番)・原告尾中敏子(原告番号四〇番)・原告尾中位久子(原告番号四一番)・原告尾中秀途(原告番号四二番)
<証拠>を総合すれば、同原告らは昭和四六年六月頃以降本件地下鉄工事期間中本件沿道に居住していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(六) 原告二井章雄(原告番号五五番)
同原告が本件地下鉄工事開始日以降昭和四六年四月一五日まで本件沿道に居住していたことは当事者間に争いがなく、また、<証拠>を総合すれば、その後も本件地下鉄工事期間中を含め昭和五六年頃まで本件沿道に居住していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(七) 原告三木幸子(原告番号六六番)
<証拠>を総合すれば、同原告は昭和二五年以降本件地下鉄工事期間中を含め昭和五〇年頃まで本件沿道に居住していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(八) 原告三木善治(原告番号七六番)
<証拠>を総合すれば、同原告は昭和四一年頃から本件地下鉄工事期間中を含め現在まで本件沿道に居住していることが認められ、この認定に反する証拠はない。
(九) 原告谷口一郎(原告番号七七番)
<証拠>を総合すれば、同原告は昭和三一年頃から本件地下鉄工事期間中も含め現在に至るまで本件沿道に居住していることが認められ、この認定に反する証拠はない。
(一〇) 承継前原告浦木國江(原告番号七九番)
同原告が本件地下鉄工事開始以前から本件地下鉄工事期間中の昭和四七年九月一八日まで本件沿道に居住していたことは当事者間に争いがなく、また、<証拠>を総合すれば、同原告は同日大阪市都島区都島本通三丁目一七番五号(同号証の記載によると、本件地下鉄工事の騒音・振動被害は認められない。)へ転居したことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(二) 原告鯨田雄吾(原告番号八〇番)
同原告が昭和四七年一一月二五日以降本件沿道に居住していることは当事者間に争いがなく、また、<証拠>を総合すれば、同原告は本件地下鉄工事開始以前から本件沿道の肩書住所地に居住しレストランを経営していることが認められ、この認定に反する証拠はない。
(三) 原告吉野美智子(原告番号八六番)
<証拠>を総合すれば、同原告は本件地下鉄工事期間中本件沿道に居住していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(一三) 原告丸石茂子(原告番号一〇六番)
<証拠>を総合すれば、同原告は昭和二七年以降本件地下鉄工事期間中も含め現在に至るまで本件沿道に居住していることが認められ、この認定に反する証拠はない。
(一四) 原告丸石憲男(原告番号一一〇番)
<証拠>を総合すれば、同原告は昭和三四年頃から本件地下鉄工事期間中も含め昭和五七年頃まで本件沿道に居住していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(一五) 原告奥村隆治(原告番号一四六番)
<証拠>を総合すれば、右原告隆治は本件地下鉄工事期間中本件沿道に居住していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(一六) 原告奥村學(原告番号一四七番)
<証拠>を総合すれば、右原告學は本件地下鉄工事期間中の昭和四七年五月七日から少なくとも同工事終了までの間本件沿道に居住していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(一七) 原告下中孝治(原告番号一四九番)
<証拠>を総合すれば、右原告下中孝治は本件地下鉄工事期間中本件沿道に居住していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(一八) 原告西田淑江(原告番号一三三番)
同原告の居住期間についての主張は必ずしも明らかではないが、同原告は原告ら居住関係等一覧表において本件地下鉄工事期間中の昭和四五年一〇月一日から同工事終了までの間娘の原告宇佐美二三子らと共に本件沿道に居住していたことを主張しているものと解されるところ、弁論の全趣旨によれば、同主張の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
本件地下鉄工事期間中の原告らの本件沿道居住期間は以上のとおりであるが、これをまとめると別紙認容金額目録一ないし四の各一、二の「慰藉料・居住日数」欄記載のとおりとなる。
3 原告ら居住地と本件地下鉄工事現場との位置関係
<証拠>を総合すれば、原告らが本件沿道と主張する居住地域(敷地)は本件地下鉄工事現場の南北両端に沿って所在し、原告らの居住地から同工事現場の各土留杭線までの最短水平距離が約三ないし三〇メートルの範囲内にあって、本件地下鉄工事による後記騒音・振動・粉塵・地盤沈下等の影響を受けた地域であることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない(原告ら別に右距離を明らかにした証拠はなく、原告らは軒下で本件地下鉄工事が施工されたと主張している)。
4 提訴前の相続関係
<証拠>によれば請求原因第一の一2(一)の事実、<証拠>によれば同(二)の事実を、<証拠>によれば同(三)の事実が、<証拠>によれば同(四)の事実をそれぞれ認めることができ、この認定に反する証拠はない。
5 提訴後の相続関係
請求原因第一の一3の事実は当事者間に争いがない。
6 家屋所有関係
<証拠>によれば請求原因第一の一4(二)の事実を、<証拠>によれば同(四)の事実を、<証拠>によれば同(五)の事実を、<証拠>によれば同(一〇)の事実を、<証拠>を総合すれば同(二)の事実を、<証拠>によれば同(一五)の事実を、<証拠>によれば同(一六)の事実を、<証拠>によれば同(一七)の事実を、<証拠>によれば同(一八)の事実をそれぞれ認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
二 被告ら
1 請求原因第一の二1の事実については、被告大阪市が直接現場で被告ら請負業者四社の施工する工事の指揮監督をしたことを除き当事者間に争いがない。そして、右工事の指揮監督関係については、<証拠>を総合すれば、本件地下鉄工事期間中、本件地下鉄工事現場付近の旧都島市電車庫跡の同一敷地内に被告大阪市の交通局高速鉄道建設本部建設部第三建設事務所と被告ら請負業者四社の各現場事務所が設置され、右第三建設事務所が本件第六ないし第九工区を担当していたこと、同事務所には所長以下事務職員約四名のほか約二〇名の技術系職員が常駐し、各工区当たり四、五名で分担し、定期的に工事現場を巡回するなどして工事の監督に当たっていたこと、被告大阪市と被告ら請負業者四社との間で締結された本件地下鉄工事の請負契約では、発注者である同市交通局長は工事の細目にわたる仕様書を定めるとともに監督者を選定し、右監督者は仕様書の範囲内で被告ら請負業者四社の作成する内訳明細書を調査し、その内容が工事施工に適合するように調整し、或いは工事の施工に立ち会い又は必要な監督を行ない、若しくは被告ら請負業者四社の各現場代理人に対して指示を与える(前掲工事請負契約書書式第七条)ことなどが明記されており、また、右仕様書では、本件地下鉄工事は請負業者である被告ら四社の責任施工とするが、同被告ら四社は施工の順序方法及び工程について前記建設事務所長の指揮監督に従う旨規定されている(第一章総則第三条)ことが認められる。
したがって、当事者間に争いのない右事実及び右認定事実によると、被告大阪市は、被告ら請負業者四社に対し、本件地下鉄工事の工法・工種・工期及び工事順序を指図し、また工事中にもその指揮監督をしていたものといえる。
2 請求原因第一の二2ないし5の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
第三 本件地下鉄工事について
一 二号線建設の経緯
1 二号線の建設計画
(一) 地下鉄網の整備拡充の必要性と都市交通審議会の答申
<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
高速電気軌道第二号線(通称谷町線、以下「二号線」という。)北部方面延長計画は、計画自体は戦前から策定されていたが、これが具体化したのは人口の都市集中化現象が顕著になってきた昭和三〇年代以降のことである。すなわち、都市交通に関する基本的な計画について調査・審議・答申等を行なうため、運輸大臣の諮問機関として、昭和三〇年七月一九日、政令第一三〇号によって都市交通審議会が設けられたが、同審議会は、昭和三三年三月、運輸大臣に対し、「大阪市およびその周辺における都市交通に関する答申」と題する答申を行ない、その中で昭和五〇年度を目途とし、大阪市を中心とする半径五〇キロメートル圏内における高速鉄道(地下鉄)を根幹とする交通網及びその輸送力の整備増強についての基本的計画を策定した。しかし、実際は、大阪市の人口は、昭和三五年度の国勢調査において三〇〇万人を超え、交通圏内から市内への毎日の流入人口は五七万人に達し、昭和三〇年度に比し、約五六パーセントの流入増を示すことになった。特に、昭和三〇年代後半以降高度経済成長に伴って大阪市内においては、自動車交通の都心集中化傾向が甚だしく、北、東、西、南の都心四区の面積が全市の一割に達しないにもかかわらず、その地区に発着する自動車交通量は、昭和三七年度において全市一日二六八万台の四割を超える状態となり、路面電車・乗合バス等の路面交通機関は、すべて交通混雑のため運行能率の低下をきたすようになった。また一方、地下交通について見ても、このような通勤通学人口の都心集中化傾向を反映して、輸送需要は飛躍的に増大し、地下鉄一号線(通称御堂筋線)についても、昭和三六年において早くも右昭和三三年答申時推定の昭和五〇年の輸送量に到達し、その結果、最混雑区間における乗車効率は、ピーク時で三〇〇パーセントと、輸送力に対する輸送需要は飽和点を凌駕するに至った。
その結果、同審議会は、こうした異常事態に対処するため、より広域的見地から昭和六〇年までの大阪圏における都市交通体系の整備増強についての基本計画を審議し、運輸大臣に対し、昭和三八年三月二九日、「大阪市およびその周辺における高速鉄道の整備増強に関する基本的計画について」と題する答申(答申第七号)、及び同年一二月一八日、「大阪市およびその周辺における路面交通に関する基本的計画について」と題する答申(答申第八号)をそれぞれ行ない、これら答申の中で、大阪市における路面交通の段階的縮小と地下鉄網の整備・拡充の必要性を指摘し、二号線は大日方面へ緊急に延伸されるべきであり、将来的には更に高槻方面へ延伸されるべきであるとの意見が出された。
(二) 被告大阪市の交通事業基本計画と財政再建方策
右(一)掲記の関係各証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
被告大阪市交通局は、都市交通審議会の前記昭和三三年答申も受けて、昭和三八年三月一九日、被告大阪市の交通事業基本計画の見直しを行ない、地下鉄網の整備・拡充の方針を打出すとともに、昭和四一年三月には、これを一部手直しして「大阪市交通事業基本計画と財政再建方策」を策定し、昭和四五年に大阪で開催される万国博覧会を目途に、(1)昭和四二年度を完成目標としていた高速鉄道緊急五か年計画は、都市計画事業の推進とあいまって、昭和四四年度まで延伸更改して、おおむね国鉄環状線に囲まれた地域の地下鉄網を完成することを主眼として策定する、(2)輸送効率の低下した路面電車は、計画的に路線の縮小を図り、昭和四三年度末には全廃して、乗客輸送は効率の高い高速鉄道と比較的機動性に富むバスに切りかえる、(3)バスは、延伸する高速鉄道との連絡・調整を図りながら新規需要にふり向ける、等の方針を明らかにした。
本件地下鉄工事は、これら高速鉄道建設計画の一環として計画された高速鉄道二号線の北部方面延長工事の一部として計画されたものであり、これは前年の昭和四三年一二月に開通していた同線東梅田・天王寺間を延長し、大阪市の東北部から梅田方面への旅客輸送を目的としたものであり、東梅田から天神橋筋六丁目を経て都島本通三丁目に至る全長約三・二キロメートルの全線地下式路線の工事であり、その間に東梅田から東へ中崎町・天神橋筋六丁目・終着の都島の三つの停留所を新設すると同時に、天神橋筋六丁目において、地下鉄六号線(通称堺筋線)と立体交差するという計画であるとともに、東梅田・都島間の工事を第一期工事とし、将来更に大日交差点まで延長しようというものであった。
被告大阪市は、この計画に基づき、昭和四四年七月、右二号線の北部方面への延長を決定して、北区高垣町・都島本通五丁目間三・二キロメートルについて、軌道法に基づき運輸大臣及び建設大臣に対し工事施工認可申請をし、同年一一月二二日、その認可を得て工事着工に至り、昭和四九年五月二九日開通の運びとなった。なお、この路線の土木工事費は、東梅田・都島間が約九六億円、都島・守口間が約一九四億円となっている。
2 二号線の建設工事
(一) 工事経過の概要
<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
前記認定説示のとおり、二号線北部方面延長工事は、昭和四四年一一月に北区高垣町を起点として着工されたものであるが、被告大阪市は、この工事区間を東梅田側から第一工区ないし第九工区の九つの工区に分割し、各工区毎にその工事を被告ら建設会社に請負わせた。被告ら建設会社は、この各工区を適当な数のブロックに分割しブロックごとに順次工事を進めていった。
この第一期工事は、昭和四五年三月一五日に開催された万国博覧会、更に昭和四五年四月八日国分寺町先で発生したいわゆる天六のガス爆発事故により約六か月間中断されたが、昭和四九年五月二九日完成し開通の運びとなった。その後の昭和五二年四月六日には都島・守口間が、昭和五八年二月八日には守口・大日間がそれぞれ完成し開通した。
本件訴訟で問題となっているのは、右第一期工事のうちの第六工区ないし第九工区の各工事である。
(二)地下鉄工事の工法
<証拠>によれば次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
地下鉄の地下隧道部分の施工方法は、開削(オープンカット)工法・潜函(ケーソン)工法・沈埋工法・凍結工法・シールド工法等に分類されるが、このうち、主な工法としての開削(オープンカット)工法・潜函(ケーソン)工法・シールド工法の概要は以下のとおりである。
(1) 開削(オープンカット)工法
(イ) 右工法の施工順序は、次のとおりである。
<1> 土留杭・中間支柱の設置
<2> 路面覆工板架設
<3> 掘削と支保工(切梁・腹起こし)の架設
<4> 隧道の構築
<5> 防水層の施工
<6> 埋戻し
<7> 覆工板撤去
<8> 支保工の切断撤去・引き抜き撤去
<9> 路面舗装
(ロ) 昭和五八年九月被告大阪市交通局高速鉄道建設本部の作成した「大阪市における地下鉄施工法」と題する冊子(乙第一七号証)では、右工法について、「地下鉄建設の標準的工法ともいえるもので、大阪市の地下鉄建設当初(昭和五年)以来使用されており、今後も地下鉄の建設が続くかぎり多用される工法である。」、「技術的にも比較的容易であり、且つ経済的にも他の工法に比べて有利な場合が多い。」旨の指摘がある。
(2) 潜函(ケーソン)工法
地盤が非常に悪い所や、地下水が特に多い(高い)所、又は、河川の横断部分のように通常の開削工法では施工が非常に困難な場合に使用される工法である。この工法は、隧道建設位置の地上で、刃先をもった隧道(函体、潜函、ケーソン)を作り、函下を掘削しながら所定の位置に沈設する工法であり、沈設するときに、圧気を利用する圧気潜函工法と大気圧の状態で行なうオープン潜函工法に分けられる。また、路面交通その他の条件により地上で函体を作ることができない場合は、開削工法のように覆工をし、路下をある程度掘り下げて、ここで函体の築造と沈設を行なう。これは路下潜函といわれる。
(3) シールド工法
シールド工法とは、外圧(土圧及び水圧)に抵抗する強度をもったトンネル外形より僅かに大きい鋼製の円筒環と推進ジャッキシールドを用いて、トンネルを掘削建設する工法である。
施工方法は、機械前面の切羽部において地盤の掘削と土留を行ない、後方に取り付けたジャッキでセグメントに反力を取りシールド機械を推進させ、その内部にセグメント(数個のブロックを組立てることにより、円形のトンネル断面になるような鉄筋コンクリート製、鋼製のブロックをいう。)を組立て、逐次トンネルを完成していくものである。この工法は、開削工法や潜函工法のように、地表面から掘削するのではなく、地表面に関係なくトンネルを施工完成できるところに特長がある。
因みに、前記冊子(乙第一七号証)によれば、被告大阪市の昭和五八年九月現在における右各工法別地下鉄施工距離(一号線ないし六号線合計一〇二・九キロメートルのうち)は、次のとおりである。
開削工法 七一・九一キロメートル
シールド工法 一七・七キロメートル
潜函(ケーソン)工法 二・六一キロメートル
凍結工法 〇・〇三キロメートル
沈埋工法 〇・一キロメートル
3 本件地下鉄工事の施工状況概要<証拠>を総合すると、本件地下鉄工事区域における同工事の施工順序・状況の概要は次の(一)ないし(八)のとおりであることが認定でき、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 本件地下鉄工事の工程
本件地下鉄工事の工程に関しては、被告大阪市とその余の被告ら間の工事請負契約では、当初は昭和四四年九月三〇日着工、昭和四六年九月三〇日竣工の予定とされ、このうち土留杭、中間支柱の建込み並びに路面覆工板架設は昭和四四年一〇月から昭和四五年三月一五日の万国博覧会開催日までに完了の予定とされていた。しかし、実際には右予定が大幅に遅れ右万国博覧会の開催、更に第一期工事区間内で昭和四五年四月八日に発生したいわゆる「天六ガス爆発事故」により、約六ケ月間同工事が中断したため、後記のとおり、昭和四八年七月に至って漸く総ての工区で本件地下鉄工事が竣工するに至った。
また、前記認定説示のとおり、被告大阪市は、市道北野・都島線に南面し都島交差点西方三〇〇メートルの旧都島市電車庫跡に設けられた第三建設事務所(所長以下二六名、各工区当り四、五名の技術職員が担当)において被告ら各業者の提出する施工計画の受理・チェック・承認、現場のパトロール等工事現場の指揮監督を行ない、同被告らもそれぞれ同一敷地内に現場事務所を設置し、被告大阪市の本件地下鉄工事施工に当たっての指揮監督に従った。
なお、右工事の着工に先立ち、昭和四四年四月一日市電が廃止され、市道北野・都島線の道路敷上に設置されていた線路敷も撤去され、同年八月二七日には都島小学校で被告大阪市によって第七ないし第九工区の沿道説明会が開催され(第六工区については沿道戸数が少なかったため被告大阪市交通局の調査係と請負業者被告白石の担当者が各戸別に訪問し説明した。)、同年一〇月一日には右道路敷上を走行していたトロリーバスも廃止され、更に、右着工前に被告大阪市交通局の調査係及び請負業者の各担当者によって各戸別の家屋の事前調査がなされた。
本件地下鉄工事の施工法・工期・工種及び施工順序は総て被告大阪市が決定し、被告建設会社らは被告大阪市作成の標準仕様書・特記仕様書・設計図等に基づき被告大阪市の指図と監督の下に各請負工区の工事を次のとおり施工した。
(二) 第六工区
この工区は被告白石により施工されたが、同工区は天神橋筋六丁目・都島間のほぼ中間に位置し、大淀区樋ノ口町六丁目から都島区都島本通に至る全長約二七〇メートルの工事区間であり、市道北野・都島線の道路敷を通って東進し、一部民地内に入り、大川の河底部を経て約三〇メートル迂回し、再び同市道道路敷に戻る線形をとっており、全区間線路部分である。この区間は、大川両岸部、即ち東側一六メートル、西側一八メートルが開削工法により施工されたほかは残区間二三六メートルが圧気潜函工法で施工された。第六工区の工事は昭和四四年一二月一五日に着工し、昭和四七年一二月三一日に竣工をみている。なお、細部の具体的な工程の時系列的経過は別紙「都島地下鉄工事時系列表」のとおりである。
(三) 第七工区
この工区は被告西松建設により施工されたが、同工区は都島本通三丁目交差点西側より大川東岸に至る延長約四六〇メートルの工事区間であって、市道北野・都島線の道路敷を通っており、全区間線路部分であるが、東端に上り線と下り線を継ぐ渡り線が敷設されている。工法は全区間開削工法で施工され、第七工区の工事は昭和四四年九月三〇日に着工し、昭和四八年三月三一日に竣工をみている。また、被告大阪市土木局において、共同溝工事(ガス・電話・電気・水道の洞道)が地下鉄構築物の上部に全区間にわたって同時に実施された。なお、細部の具体的な工程の時系列的経過は別紙「都島地下鉄工事時系列表」のとおりである。
(四) 第八工区
この工区は被告松村組によって施工されたが、同工区は都島本通三丁目交差点西側から東側に至る全長約二五〇メートルの工事区間であって、その大部分は、地下鉄都島駅の駅舎部分の構築で、残りが線路部分である。地下鉄都島駅は上部の駅舎部分と下部の線路・プラットホーム部の二層からなり、都島本通三丁目交差点を中心とする延長一六〇メートル、有効幅八メートルの島式ホームであり、全区間総中階構造である。工法は全区間開削工法で施工され、昭和四四年九月三〇日に着工し、昭和四八年七月一五日に竣工をみている。更に、被告大阪市土木局において埋設物(電話・電気)専用の共同溝工事を同時に実施した。なお、細部の具体的な工程の時系列的経過は別紙「都島地下鉄工事時系列表」のとおりである。
(五) 第九工区
この工区は被告栗本建設により施工されたが、同工区は都島本通三丁目交差点東側から市道北野・都島線の道路敷を通って東へ約二四〇メートルの工事区間であって、全区間線路部分であり、東側部分は折り返し線を含めた三線部になっており渡り線も併設されている。工法は全区間開削工法で施工され、第九工区の工事は昭和四四年九月三〇日に着工し、昭和四八年三月三一日に竣工をみている。更に、被告大阪市土木局において共同溝工事を同時に実施した。なお、細部の具体的な工程の時系列的経過は別紙「都島地下鉄工事時系列表」のとおりである。
(六) 掘削深度及び土留工法等
各工区別の掘削深度及び土留工法等は、別紙「地下鉄工事の土留工法一覧表」のとおりであるが、具体的には主として次のとおりとなる。
(1) 第六工区
計画河床面下三メートルの土被りを確保するため、左岸側では掘削底面まで二〇メートルとかなり深く掘削された。土留工法は主として鋼杭横矢板工法である。
(2) 第七工区
平均掘削幅一二・五〇メートル、平均掘削深度一四・〇〇メートルである。土留工法は全区間連続土留杭工法である。
(3) 第八工区
平均掘削幅一九・〇〇メートル、平均掘削深度一五・四〇メートルである。土留工法は全区間連続土留杭工法である。
(4) 第九工区
平均掘削幅は一五・三メートル・平均掘削深度一四・八メートルであり、地表からプラットホーム上面までの深度は約一九メートルである。土留工法は全区間連続土留杭工法である。
(七) 作業時間(夜間工事)
開削工法による工事、それに伴う全工区土留杭及び中間支柱杭打設工事の施工は、路面交通と道路幅員との関係ですべて夜間の時間帯(午後八時から翌日午前七時まで)で行なわれた。
(八) 工区別主要工種
本件地下鉄工事に使用された工区別・主要工種は、別紙「工区別・主要工種一覧表」のとおりである。
二 本件地下鉄工事に伴う騒音・振動・粉塵・地盤沈下の実情
1 騒音・振動・粉塵
(一) 本件地下鉄工事に伴う騒音・振動の特異性
一般に建設工事は各種の工程を経て行なわれ、その間多種多様な工事用機械が使用され、建設工事に伴う騒音・振動は、これら工事用機械の使用に伴って発生し、建設工事の完成とともに止まるものであって、本来工場騒音・振動等が半永久的なものであるのに比較して、期間も短く一過性のものであり、住民の生活環境に長期間にわたって影響を及ぼすものではないのが普通である。しかしながら、本件地下鉄工事に伴う騒音・振動の場合、後に詳述するように、騒音・振動発生の時間帯が主として午後八時から翌日午前七時までの夜間であり、しかも、原告ら居住区域沿道で通算三年ないし四年近くの長期間にわたって施工されたことに鑑み、建設工事騒音・振動であっても必ずしも一時的なものとして看過することはできず、また、こうした本件地下鉄工事の規模、使用機械、工事期間、右時間帯、原告ら住居地域との至近距離等からみて、むしろ工事騒音等に類する公害の側面を有するのみならず、他面建設工事の騒音・振動という特殊性から、音響パワーレベルが大きく、その性質も不規則・間欠的かつ複雑なもので、刺激衝撃性を伴うものが多いことも経験則上容易に推認できる。
したがって、本件地下鉄工事に伴う騒音・振動の実情を考察するうえでは、このような本件地下鉄工事に伴う騒音・振動の特異性に着目する必要がある。
(二) 原告ら各居住地における本件騒音・振動・粉塵等の被暴露量の客観的・数値的把握の困難性
原告らの居住地が、本件地下鉄工事中どの程度の騒音・振動・粉塵等に暴露されていたかについて検討するに、これら被暴露量は、各発生源から被暴露地点までの距離、使用機械の種類と使用方法、更には地形、道路・建物の配置等、障害物の有無状況等の諸条件によってかなり左右されることは明らかである。したがって、本来、原告ら各居住地が本件地下鉄工事によってどの程度の被害を受けたかを確定するためには、右各居住地の騒音・振動・粉塵被暴露量をその都度実測した詳細なデータが不可欠であるが、本件地下鉄工事は、過去に生起した一回的事象であるから、現時点において検証等の手段によって各原告ら別に右数値を具体的に把握することは不可能である。また、本件全証拠を仔細に検討しても原告ら全員について当時の右数値を明らかにした観測データも存在しない。したがって、本件地下鉄工事に伴う騒音・振動・粉塵等の実情を客観的かつ数値的に正確に把握することは不可能又は極めて困難である。しかしながら、原告ら請求に係る本件慰藉料請求は、後記認定説示のとおり、主として睡眠妨害、生活妨害等原告らにある程度共通した、しかも日常経験しうる精神的被害に基づくものであり、個別性の要素の強い身体的被害に基づくものではないので、主観的事情において類似又は共通したものがあるといえる。したがって、被害を最小限共通のものとしてある程度類型的又は定量的に把握でき、一方侵害状況の把握についても、手持ち資料を殆ど有しない原告らに個別具体的な被害状況の立証を要求するのは相当でない。むしろ、損害を右のように解すれば、騒音・振動の発生地点、その量と質、その時間帯と期間、原告らの居住地との距離・位置関係等から原告らの一部につき被害の発生が証明されれば、同一条件下の他の原告らについても同様の被害を認定できるものといえる。そこで、以下ではこのような見地に立って更に検討することとする。
(三) 騒音・振動・粉塵の発生原因と程度
(1) 開削(オープンカット)工法の具体的工程と使用機械別騒音レベル
前記一3の関係各証拠に加えて、甲第三五号証(当時被告大阪市交通局高速鉄道建設本部建設部第一建設事務所長であった平松武弘が、昭和四八年五月頃、「トンネルと地下」という雑誌に発表した「大阪地下鉄2号線建設の現状と問題点」と題する論文、以下「平田論文」ともいう。)、及び乙第一七号証に弁論の全趣旨を総合すれば、開削(オープンカット)工法の具体的工程とその使用機械別騒音レベルは次のとおりと認められ(別紙「騒音を発生する機械とその大きさ」参照。)、この認定に反する証拠はない(なお、オープンカット工法の具体的工程が概ね原告ら主張のとおりであることは当事者間に争いがない。)。
(イ) 歩車道舗装割
昼間アースオーガー等の大きな機械を車道の真ん中に止めるため、交通量確保の準備工事として、約四メートル五〇七センチあった歩道を約二メートル位に切削して縮め、逆に車道部分を二メートル五〇センチ拡幅し、その後杭打ちの予定位置を約一メートル五〇センチ布掘して埋設物等の存否を確認したうえ、歩車道に舗装されたアスファルトやコンクリートをコンプレッサーを動力源とするコンクリートブレーカーやジャックハンマー、チッパー等を使用して破壊し撤去する。これら機械の使用は、騒音・振動の発生原因となり、特に騒音はかなり大きいものである。但し、この歩車道舗装割の作業は一晩で約一〇メートル幅の施工が可能であり、工事自体は比較的短期間で終了する。
因みに、コンクリートブレーカーの発生騒音値の概要(対象は平均厚さ二五センチメートルのコンクリート舗装)は、次の程度である。
<1> 一台使用の場合
<イ> 遮音壁未使用
三〇メートル地点 六九ないし七六ホン(平均七四ホン)
二〇メートル地点 七一ないし七八ホン(平均七五ホン)
一〇メートル地点 八〇ないし八六ホン(平均八三ホン)
<ロ> 遮音壁使用
三〇メートル地点 五九ないし七六ホン(平均六一ホン)
二〇メートル地点 六三ないし七一ホン(平均六八ホン)
一〇メートル地点 六五ないし七三ホン(平均六九ホン)
<2> 二台使用の場合
<イ>遮音壁未使用(非常に硬いコンクリート部で使用)
三〇メートル地点 七四ないし八七ホン(平均八三ホン)
二〇メートル地点 七七ないし九一ホン(平均八七ホン)
一〇メートル地点 七八ないし一〇〇ホン(平均九六ホン)
<ロ> 遮音壁使用
三〇メートル地点 六二ないし七五ホン(平均七〇ホン)
二〇メートル地点 六八ないし七八ホン(平均七四ホン)
一〇メートル地点 七一ないし八一ホン(平均七六ホン)
<3> 三台使用の場合(遮音壁使用)
三〇メートル地点 六四ないし八〇ホン(平均七二ホン)
二〇メートル地点 七〇ないし八三ホン(平均七六ホン)
一〇メートル地点 七六ないし八四ホン(平均七九ホン)
また、ジャックハンマーの発生騒音値の概要は、次の程度である(チッパーの騒音については後述する。)。
三〇メートル地点 六〇ないし六八ホン(平均六五ホン)
二〇メートル地点 最高七三ホン
一〇メートル地点 最高七八ホン
<ロ> 杭打
リーダーといわれる高さ約三〇メートルの櫓を建て、そこに打込機(アースオーガー)(最上部に減速機モーターのついたドリル状の錐で、軸芯が中空になっており、その中空を利用して錐の先端からモルタルポンプによりモルタルを噴射する。)を設置し、アースオーガーを回転させながら孔を穿ち、所定の深さまで達するとアースオーガーを引き抜きながら出来た円柱状の空間にモルタルを充填し、そこに鋼杭を建込み、モルタルの凝固によって固定するものである。
このアースオーガー自体は、後記のとおり騒音も比較的低いが、毎回ではないにしても孔の底部に土砂が残留し建込みが不完全な場合には補助的に振動杭打機(バイブロハンマー)を使用してH型鋼を押込むこともある。この場合には、騒音・振動を伴うが、その所要時間は数十秒である。また、アースオーガー自体は重機であるため移動等に際して、エンジン音等も発生し、騒音・振動の発生原因となる。アースオーガーにより一晩で一メートル五〇センチピッチで約五本の鋼杭を建込むとすると、その工事区間は七メートル五〇センチ程度の範囲にわたり施工することができる。
因みに、アースオーガーは、音源から一〇メートル地点で六三ないし七四ホン程度の騒音(平均六八ホン)を発生させる。
(ハ) 覆工板架設
路面開削後、道路としての効用を確保するため、路面の表面を鉄製又はコンクリート製の工板で覆う。この上を自動車が走行するため騒音が増加する場合もある。また、地上から約一メートル五〇センチ程度はバックホータイプのパワーショベルで掘削することになり、後述のとおりかなりの騒音が発生する。この工事は一晩で幅約七メートル、道路の延長方向に約一〇メートルできるので、結局約七〇平方メートルの範囲に亘って覆工板架設工事ができることになる。
(ニ) 掘削
路面覆工後、地下内部を掘削し土砂を搬出する。この場合、通常は路上の一部(各工区三、四機)に漏斗形の固定式ホッパー(土砂搬出用基地)を設け、ここから掘削した土砂を地上に搬出する。掘削にはチッパー(小型削岩機)、バックホーショベル等を使用して掘り進み、掘削土砂をブルドーザー等でホッパー下部まで集め、路上のホッパーまで運び上げ、ダンプカーで他に搬出する。夜間は覆工板を捲くって土留支保工等資材をクレーンにより搬入するのみで、掘削自体は昼間に実施された。
因みに、これら機械の発生騒音値の概要は、次の程度である。
<1> チッパー
三〇メートル地点 六四ないし六六ホン(平均六五ホン)
二〇メートル地点 六四ないし六八ホン(平均六七ホン)
一〇メートル地点 六九ないし七三ホン(平均七一ホン)
<2> バックホーショベル
三〇メートル地点 七一ないし七五ホン(平均七三ホン)
二〇メートル地点 七二ないし八〇ホン(平均七六ホン)
一〇メートル地点 七四ないし八二ホン(平均七八ホン)
<3> クラムシェル
三〇メートル地点 五一ないし六二ホン(平均五七ホン)
二〇メートル地点 六〇ないし六八ホン(平均六四ホン)
一〇メートル地点 七〇ないし七九ホン(平均七五ホン)
<4> ブルドーザー
三〇メートル地点 六四ないし六八ホン(平均六六ホン)
一〇メートル地点 七〇ないし七一ホン(平均七一ホン)
<5> 大型ダンプカー
一〇メートル地点 最高七八ホン
<ホ> 土留支保工架設
掘削が進むと、その進展に応じて上から順番に地中にできた空間を保持するため、クレーンを用いて鋼製の支保工を搬入し、四段ないし六段にわたってトンネル内にウインチ(捲取機)で直角に架設する(因みに、モビールクレーンは三〇メートル地点で最高六八ホンの騒音を発生する。)。
<ヘ> 地下構造物のコンクリート打設
トンネル等の地下構造物を構築するために、基礎コンクリートを打ち、底床版の鉄筋を組み、型枠を作ってそこにコンクリートを流し込む。これが完了すると続いて側壁の外型枠を立て鉄筋を組んで、後に内型枠を立て、側壁のコンクリートを打っていく。この場合、別の作業場所で加工された鉄筋を組み立て、それに合せてコンクリートミキサー車からコンクリートを流し込むので、鉄筋組立、型枠組立等の作業は昼間坑内で実施されるが、道路占用の関係からコンクリート打設、型枠材料・鉄筋等資材の搬入は夜間実施された。坑内作業自体による騒音の影響は殆どなかった(証拠上明らかではないが)と思われるが、コンクリートミキサー車からのコンクリートの流し込みに際しては、流し込み自体により、更に常時回転しているコンクリートミキサー車のドラム音又はエンジン音によって相当程度の騒音が発生した。このコンクリートミキサー車は、一回打設量二〇〇立方メートルを打つのに四〇台を要し、一箇所(二〇メートルブロック)について五回(晩)程度を要する。
(ト) 埋戻し
地下構造物が出来上がると、覆工板をはずして、残部の空間にダンプカーによって運ばれてきた土砂をブルドーザー、タンピングマシン等により入れ固めて道路に復旧する。この作業は夜間実施される。これら機械の使用は、騒音・粉塵の発生原因となる(因みに、ブルドーザーは、音源から三〇メートル地点で六四ないし六八ホンの、一〇メートル地点で七〇ないし七一ホンの騒音を発生させる)。
(チ) 土留支保工の撤去
埋戻しに伴って土留支保工を撤去する。
(リ) 鋼杭及び覆工板の撤去
埋戻しが桁下まで進むと、クレーン等を使用して路面覆工板及び覆工桁の撤去を行ない、撤去跡の埋戻しを行なう。鋼杭の撤去には騒音・振動を伴うことが多いため、本件地下鉄工事ではそのまま埋め殺しされた。この場合、鋼杭は地面から約二メートル一〇センチ下がりのところをガス切断して撤去する。これらの作業は夜間実施された。
(ヌ) 舗装
埋戻し完了後、タイヤ・ローラー、アスファルトフィニッシャ等を使用して路面をアスファルト舗装し、道路に復旧する。この後、地下鉄構造物内部で軌道工事・電気工事・仕上工事を実施し、試運転・開業に至る。因みに、タイヤ・ローラーは、三〇メートル地点で六二ないし六九ホン(平均六五ホン)、一〇メートル地点で六九ないし七四ホン(平均七二ホン)程度の騒音を発生させる。
以上、各工程毎の主な使用機械別騒音レベルをまとめると、これらの機械が地上で使用された場合には、各機械単体でも例えば騒音源から一〇メートルの地点で少なくとも平均七〇ホン以上の騒音が発生していることが明らかであるとともに、これらの機械が複合的にしかも相当台数使用されたことを考えると、本件地下鉄工事現場付近(本件沿道)の原告ら居住地域がこれら建設機械の使用に伴い時には右程度以上の騒音・振動によりかなりの影響被害を受けたことは容易に推認できる。
なお本件においては、右建設機械が地下工事に使用された場合に、その使用に伴い発生する騒音・振動が原告ら居住地域にどの程度の被害影響を及ぼすかについての騒音・振動値等の調査資料はみられない。
(2) 原告ら居住地域における暗騒音・暗振動
本件全証拠によるも、原告ら居住地域における本件地下鉄工事施工時点での暗騒音・暗振動を直接測定したデータは存在しない。しかしながら、前掲平田論文(甲第三五号証)は、当時の本件地下鉄工事現場内の暗騒音(昼間)について概ね六〇ないし七五ホンと想定しており、後記認定説示のとおり、原告ら居住地域が概略市道北野・都島線に面して相当数の住居と商店や工場等の混在する地域で、騒音に係る環境基準及び規制基準の地域類型としては、ほぼB地域或いは第三種地域に該当すること、また右市道北野・都島線も昭和四四年当時においても都島本通交差点における一日の自動車交通量が五万八〇〇〇台に達するという幹線道路であることなどを総合考慮すると、右暗騒音値は原告ら居住地域沿道の工事現場内の昼間の暗騒音値としてほぼ実態に即した数値と解され、前記使用機械の発生する騒音値も右暗騒音値の下における騒音値として扱うことになる。
(3) 平田論文における騒音・振動の実情に関する指摘
<証拠>によれば、本件地下鉄工事による原告ら居住地域の騒音・振動に関して、以下のような指摘がみられる。即ち、本件地下鉄工事には各種の建設機械が使用されているが、使用機械とその発生騒音値の関係は別紙「騒音を発生する機械とその大きさ」記載のとおりであって、特定建設作業の対象として規制を受けているものは、すべて規制基準値(三〇メートル離れた地点で七五ホン)以下で作業を行なっているとしても、本件沿道家屋と一〇メートル以内で作業を行なう場合も多く、このような場合には音源減衰割合からみてもかなりの騒音となる。また振動の中でも、もっとも問題の大きい振動は鋼杭建込み打止時に使用するバイブロハンマーによるものであるが、道路境界付近(杭位置から七メートル)では、Meister(一九三七)の感覚曲線の「よく感ずる範囲」の中位にあり、この場合のバイブロハンマーの使用時間は二〇ないし七〇秒である。なお、鋼杭建込みがうまく行なわれた場合は、バイブロハンマーを全く使用しなくてもよい時もあり、使用しても五秒程度で終っている。
(4) 騒音・振動レベルの減衰
(イ) 騒音レベルの減衰
<証拠>によれば次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
一般に音源から受音点まで騒音が伝播していく間に、音の強さは減衰する。距離のみによる減衰と、距離以外の減衰、即ち過剰減衰とに分けられる。まず、距離減衰についてみると、一般的に、距離が倍になると、点音源の場合は六デシベルの減衰を、線音源は三デシベルの減衰を生ずるとされている。しかして、本件地下鉄工事に使用された機械から生ずる音は点音源と考えられ、原告ら居住地は概ね音源から至近距離にあるので、距離減衰効果は余り生じていないものと考えられる。また、原告ら各家屋から東側約三〇メートル余り、西側三〇メートル余りのところで工事が行なわれていても騒音減衰の効果は余り生じない。更に、騒音減衰のもう一つの要素としては、草・樹木・気象条件等による過剰減衰も考えられるが、本件ではこれを窺わせる資料はない。
(ロ) 振動レベルの距離減衰
<証拠>によれば、振動レベルの距離減衰の割合は、上下動・水平動の別、振幅・加速度・振動速度等によって千差万別であり、画一的に把握できないことが認められる。
(5) 家屋内の騒音・振動
(イ) 騒音
<証拠>によれば、十分に長い遮音壁により遮られた騒音レベルの減衰程度について、音源が十分に長い線音源の場合、点音源からの減衰量から更に五デシベルを引けばほぼ安全な数値をうるとされている。
(ロ) 振動
<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
地表振動と室内振動の関係は家屋等の振動特性の影響を受けて、振動数により増幅したり、或いは減衰し複雑なものとなっているが、我が国の平均的家屋構造である木造家屋の板間と地表振動との関係について調べてみると、減衰するものから最高一五デシベル位増幅するものまであり、これを平均的にみるとマイナス一ないしプラス八デシベルとなる。また、他の報告によれば、家屋の振動増幅は加速度比で二倍(約六デシベル)をみればよいとされている。
因みに、昭和五一年二月二八日中央公害対策審議会騒音振動部会振動専門委員会報告(振動規制を行うに当たっての規制基準値、測定方法等及び環境保全上緊急を要する新幹線鉄道振動対策について当面の措置を講ずる場合のよるべき指針について)は、家屋等室内の振動増幅量の目安として一応五デシベル程度が考えられていることが認められる。
(6) 粉塵被害
<証拠>を総合すると、同原告<編注・大矢、杉江、若林、生山>らは誇張して述べているところがあるとしても、本件沿道の原告ら住民は、本件地下鉄工事によりその程度に差異があるとしても大なり小なり砂埃等の粉塵被害を受けたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。そして、証拠上は必ずしも明らかではないが、右粉塵の中には後記のとおり受忍限度を超えたものもあったことは否定できない。
2 地盤沈下
(一) 土留工法
<証拠>によれば次の事実が認められる。即ち、地下鉄工事における地盤沈下・地盤の滑りを防止するための土留工法としては、別紙「地下鉄工事の土留工法一覧表」記載のとおり、大別して鋼杭横矢板工法・鋼矢板工法・連続土留杭工法・連続土留壁工法の四種類の工法がある。
このうち、連続土留杭工法は、削孔建込みの鋼杭間にモルタル杭φ四五〇を造成して連続土留杭を作る。削孔建込杭並びにモルタル杭の造成は騒音・振動の少ないアースオーガー等で地盤に削孔し、アースオーガー引抜時に先端よりモルタルを噴出させて行なわれる。連続土留杭工法は軟弱地盤・重要構造物に近接する場所等で使用され、連続杭の造成方法により[1]型から[4]型に分類され、現場の状況に応じて右各型が使い分けられる。本件第六工区と第七工区の一部で[1]型が、本件第七工区の一部、第八工区の一部及び第九工区で[2]型が、本件第七工区の一部及び第八工区の一部(出入口)で[4]型がそれぞれ使用された。
また、連続土留壁工法は、地盤安定液を用い、地中に長方形の掘削を行ない、鉄筋を挿入してトレミー工法でコンクリートを打設し、地中に鉄筋コンクリートの連続土留壁を順次造成する工法である。特に軟弱地盤・重要構造物に近接する場所、完全止水を必要とする場所等に用いられる。二号線北部方面延長工事では中崎停留場の国鉄との交差工区で右工法が用いられた。
(二) 地盤管理
(1) 工事着工前の地盤調査
<証拠>によれば次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
一般に、地下鉄工事着工の前には必ず工法選択等の目的で地盤調査が実施されるが、その方法としては、普通約二〇〇メートルピッチで径が一〇センチメートル前後のボーリングマシンで削孔し、途中標準貫入試験を実施して土の硬さを調査するとともに、サンプルとして岩・土砂を採取し、含水比・粒度分布、強度・圧密試験等を実施し、同時に削孔跡を利用して地下水位の測定をする方法が採用される。
本件においても、被告大阪市交通局は、本件地下鉄工事着工前に路線予定地の地質・土質状況を把握するため、興亜開発株式会社に対し、調査を依頼した。そこで、同社は、ロータリー式コアーボーリング機を用い、調査地点一三箇所において、地表面下(「G・L」とも表示する。)三〇メートルまで掘削するとともに、土質の標準貫入試験(JISA一二一九)を深度〇・七五メートル毎に行ない、地盤強度(N値)の測定と土質試料の採取をした。採取試料については、整理・ピックアップして物理試験に供し、粘性土に対しては、不攪乱試料を採取し、力学試験を行ない、力学特性を求めた。更に、ボーリング孔を利用して地下水位の測定を行ない、孔内水を採取して水質試験を行なった。以上の結果、同社は、昭和四三年六月、被告大阪市交通局に対し調査報告書(乙第八号証の一、二)を提出している。なお、被告大阪市を除く被告ら各請負業者によっても補足的に数本のボーリング調査が実施されている。
以上の調査の結果、本件工事現場の地盤は、地表面下約二〇メートル位が沖積層という軟弱な地盤、その下が洪積層という硬い地盤であった。このうち、沖積層は、地表面下約一〇メートル位が砂・シルト混じりの軟弱な土、地表面下約一〇メートルから一五メートル位が粘土、地表面下約一五メートルから二〇メートル位が比較的締ったN値約一〇ないし四〇程度の砂によって構成されていた。また、洪積層は、天満砂礫層といわれるN値が五〇以上の極めて堅固な地盤であった。これらをまとめると、別紙「第2号線線路平面図および縦断図面」(乙第一号証三ページ)記載のとおりとなる。
そこで、被告大阪市は、本件地下鉄工事現場の地盤が軟弱地盤であること、そのため土圧による周辺地盤への影響の可能性、或いは地下水位の低下に伴う圧密沈下の可能性等を十分把握したうえで、右圧密沈下、地盤のずれ等を防止するために、土圧に対する対抗手段(剛性と連続性による)と遮水性の確保の目的から、連続土留杭工法が最も有効なものとして第七ないし第九工区で採用し、被告建設会社にその実施を指示した。また、被告大阪市は、右工法の補強手段として、凝固剤の注入による地盤改良、支保工を五ないし六段に増加、総ての切梁にジャッキ・アップして切梁と土留杭との間の遊びをなくすることをも指示した。
(2) 工事中の地盤管理
(イ) 地下工事標準仕様書(乙第三号証)
右のような軟弱地盤で大規模な本件地下鉄工事を行なう場合、地盤沈下の防止に鋭意注意しなければならないが、この点について、被告大阪市交通局高速鉄道建設本部建設部土木課作成の本件地下鉄工事の「地下工事標準仕様書」第一章(総則)第二三条では、「本工事期間中請負人は観測井戸の管理に注意すると共に、定期的に地下水位の観測結果を注文者大阪市交通局長に報告するものとする。なお観測井戸は原則として三〇〇メートルに一箇所設置するものとする。」旨規定し、第九章(掘削)第七条では、「掘削中、局部的に軟弱地盤が表われたり底部近くになりヒービング・ボイリング等のおそれの生じた時はすみやかに注文者大阪市交通局長に連絡し、その指示により支保工の補強、地盤補強注入その他万全の方策を講ずること。」と規定している。また、<証拠>によると、被告らは右切梁軸力の測定、背面地盤沈下の測定、地下水位の観測等を行っていたことは推認できるが、それ以上に本件地下鉄工事現場の地盤の状況・変化などの程度計測観測したかについてこれを認めるに足りる証拠はない。
(ロ) 被告らの測定範囲とデータの存否
因みに、右にいう「地下水位の観測結果」及び「観測井戸」の観測結果を示すデータは、本件審理を通じて被告大阪市及び被告ら建設会社から証拠として提出されず、その存否すら明らかにされないままに終ってしまい、結局本件地盤の挙動を客観的数値として示す証拠資料としては甲第三六号証(被告大阪市交通局作成の地盤挙動測定表)が存在するのみである。また、本件第六工区ないし第九工区の基本設計を担当し、かつ工事期間中は第一建設事務所長として工事の施工面にも実質的に深く関与担当した証人平田武弘に対する証人尋問によっても、工事中被告らによって如何なる範囲で地盤挙動を観測したか、またそのデータは現在存在するかどうかについては明らかにされなかった。また、当時水平傾斜計(掘削底面の地中に差込んだパイプのたわみを積分して変位量を出し地盤の水平移動を測定する機械)も開発されていなかったので、むしろ地盤内部の挙動が十分観測測定されていなかったのではないかと推測される。
(ハ) まとめ
以上によれば、他に特段の反証もない本件においては、本件地下鉄工事中の被告らによる地盤計測管理が、前記地下工事標準仕様書規定にもかかわらず不十分なものであったといえる。
(三) 本件地下鉄工事前後の地盤挙動
<証拠>によれば、都島小学校内における水準点の自然圧密量は、昭和四四年ないし昭和四八年の本件地下鉄工事期間中には二一ミリメートルであるのに対し、本件第七ないし第九工区沿道の沈下量は右自然圧密量(自然沈下量)二一ミリメートルを差引いても、最大二〇八ミリメートル、最小四ミリメートル、平均七七ミリメートルとなっていることが認められ、右事実に<証拠>を総合すると、前記連続土留杭工法とその補助手段の使用にもかかわらず、本件地下鉄工事によってその周辺地盤に自然沈下量をかなり超えた地盤沈下が生じたことが推認できる。
第四 原告らの被害について
一 陳述書・アンケート調査結果
<証拠>によると、本件地下鉄工事の被害について、原告らから被害状況を訴えた陳述書等及び各種アンケート調査の結果、被害状況を訴えた新聞記事等が証拠として提出されている。
ところで、原告ら主張の本件地下鉄工事の騒音・振動等による精神的損害は、その内容が安眠妨害から日常生活妨害による損害と広範囲で多岐のものにまで及び、しかも被害者側の特殊個別的条件の差異によりかなりの差異を生じ、他方、これらを捨象しては正確に認識把握できないものなので、体験者の体験供述が重視される反面、これを外形的客観的に認識把握することが極めて困難であることは、経験則上容易に理解しうるところである。
以上のような見地に立って考えると、原告ら作成提出の右陳述書等は、その作成の時期・誇張された表現内容もみられること、反対尋問により真実性が検証されていないこと等からみてたやすく信用できないものが含まれているとしても、他面体験者でなければ感知理解できない被害状況を具体的に陳述したものであることも否めないので、他の証拠と相まって原告らの被害状況を立証する証拠となしうるものといえる。
二 本件騒音・振動・粉塵による被害
1 原告らの愁訴と被害認識
(一) 原告らの愁訴
(1) 原告らの法廷供述・陳述書
<証拠>によれば、原告らはほぼ一様に本件地下鉄工事の騒音・振動によって睡眠を妨害された旨訴えているが、原告らが訴える睡眠妨害の態様を大別すると、夜早く寝たくても眠れなかった、騒音・振動等により夜中に目を覚されたというものであり、またその他、原告らのうち請求原因第三の二3(二)(2)ないし(4)記載の愁訴をする者も多いことが認められる。
(2) 原告らのアンケート調査
<証拠>によれば、本件沿道住民らによって組織された「都島地下鉄工事被害者同盟(会長原告杉江尚巳)」が昭和四七年二月二四日実施したアンケート調査結果からは、相当数の本件沿道の住民が本件地下鉄工事による健康被害として、「いらいら」、「不眠症」、「難聴」、「ノイローゼ」等の症状を訴えていることが認められる。
(3) 平田論文(甲第三五号証)の指摘
前掲平田論文は、本件地下鉄工事に対する沿道住民の苦情について、以下のように指摘している。即ち、本件地下鉄工事の進捗に伴い、沿道住民から各種の苦情が出ているが、東梅田・都島間の工事について昭和四七年四月から同年一二月までの間の住民の苦情をまとめると、騒音三六パーセント、振動三九パーセント、家屋障害二一パーセント、営業障害一パーセント、その他三パーセントとなっている。なお、調査期間中には、おもにコンクリート打設、埋戻し、覆工板撤去の作業が行なわれていた。
このように苦情の中でもっとも多いのが振動によるものであり、続いて騒音によるものとなっている。なお、騒音・振動に対する苦情の内容は、これらが原因となって眠れないというものが非常に多い。
(二) 原告らの被害認識
以上を総合すると、原告らは、本件地下鉄工事期間中、主として騒音・振動により睡眠妨害を中心とする日常生活上の各種被害を被っていると認識していたものといえる。
2 騒音・振動と被害内容
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。
(一) 騒音の定義・単位とその不快感に関連する諸要因
騒音は「さわがしい」、「気分がいらいらする」、「不愉快になる」、「腹がたつ」といった情緒的不快感を人々に与えるものであり、騒音とは、これら好ましくない音をすべて総称して使用する用語である。
騒音計によって測定した騒音レベルの単位としては、ホンとデシベル(dB)がある(騒音計には、A、B、Cの聴覚補正回路があり、ホンは、A回路で測定した場合のみ用い、デシベルを用いるときは回路の名称を付するのが普通である)。
ところで、騒音による不快感は次の要因と関連するとされる。
(1) 騒音レベル
建設騒音のような意味のない騒音については、騒音レベルの増加につれて、不快感の程度及び訴えの割合は増加する。昼間の室外騒音で五〇パーセントの人が被害を訴える騒音レベルは、住宅地域で五〇ホン、商業地域で五五ないし五九ホン、学校で五〇ないし五四ホン、病院で四五ないし四九ホン程度である。
(2) ピッチ(音の高さ)
ピッチの高い騒音は、低い騒音よりも不愉快に感ずる。
(3) 騒音の時間的変動
騒音の強さ、若しくは周波数構成がたえず変化する場合には、その定常な場合より不快感は増大する。
(4) 音の局在性
騒音源の位置が聞く人にわかっている場合は、逆の場合にくらべて不快感は軽度である。
(5) 個人的要因
個人的な要因としては、健康状態、性、年齢、性格などがあげられ、また、特に社会的関係では、公共性、利害関係、彼我の経済状態、被害者・加害者の互換性、被害者の数等によって、不快感の様相は複雑多岐に変化する。また、騒音に対する慣れの要素も軽視できない。
(二) 騒音の影響
(1) 日常生活への影響
(イ) 聴取(会話)妨害
騒音によって、会話妨害、電話やテレビ・ラジオの音声の聴取妨害が起こることはすでに周知の事実であり、とりわけ、屋内における定常騒音レベルと通常会話に対する文章了解度(言語情報として意味をもつ簡単な短い文章を受聴者に伝達し、そのときの正聴率を百分率で示したもの)の関係についてみると、騒音レベルが六五デシベルを超えると、了解度が急激に低下し、九五パーセントの文章了解度を得ようとすれば、騒音レベルは六四デシベル以下にすることが必要である。
(ロ) 作業能率に対する影響
騒音レベルが九〇デシベルの定常騒音に連続的に暴露されると、集中力、作業速度、作業能率等作業の遂行に極めて有害な影響を与える。なお一般に、多くの人々は、騒音レベルが九〇デシベルよりも相当低くても、集中力の深さ、事務能率、生産量などに悪い影響を与えると信じており、これが騒音を受け止める側の主観的条件として看過できない。
(ハ) 睡眠妨害
睡眠妨害の実験研究や調査結果も多いが、その結果は一般に、定常音より変動音のほうが妨害的であり、間欠音の場合には間隔が短いほど影響が大きく、また、受音者側の条件としては、男性よりも女性のほうが、若壮年者群よりも高年者群のほうがそれぞれ妨害されやすく、睡眠妨害度と騒音の種類・レベルとの関係では、すでに四〇デシベル程度で睡眠に相当に影響が生じ、それ以上では被害率が高まり、約五五ホンで約半数の人が睡眠妨害を訴えることが明らかにされている。そして、我が国の騒音に係る環境基準の設定に当っても、住居地域(A地域)では睡眠確保のための夜間屋内レベルを四〇ホン以下としている。また後記認定説示のとおり、夜間の屋外最高値をB地域で五〇ホン、A地域で四〇ホン、AA地域で三五ホンとする旨定められている。
(2) 生理機能への影響
騒音の一般生理機能へ及ぼす影響としては、個人差は大きいが一般的には、交感神経系の緊張に由来する血圧、脈拍数、呼吸数、脳内圧、発汗、新陳代謝などの増加、唾液、胃液、胃の収縮回数、収縮の強さなどの減少、末梢血管の収縮などの諸変化・身体への悪影響が五〇ないし七〇ホンの騒音で起こってくるが、騒音の繰り返しに慣れるとその影響度と諸変化は次第に減弱するといわれている。
(3) 聴力への影響
騒音が聴力に影響するところは大きく、とりわけ、強度の騒音に長期間暴露されると回復不能な難聴になることは、すでに古くから知られている。しかし、騒音の大きさと聴力に対する具体的影響については個人差も大きく未だ完全な定見をみない。
(4) まとめ
騒音は聴力に影響を与え、かつ大脳皮質全体を刺激して覚醒ないし睡眠妨害、精神作業妨害を起こすと同時に、怒り、いら立ち等の情緒を喚起し、食欲・性欲などを妨害する。このような精神的心理的ストレスが限度をこえると、身体に悪影響を当てる。
(三) 振動の影響
(1) 影響内容
一般には、振動による影響と振動レベル(地表換算値)の関係については、五〇デシベルが振動を感じ始める閾値とされ、八〇デシベルが産業職場における快感減退境界値(八時間暴露)とされ、これを超えると人体に有害な生理的影響が生じ始めるとされている。更に、近年の睡眠実験の結果では、深度二(中程度の眠り、八時間の睡眠中約六〇パーセントを占めている。)について、六〇デシベルでは影響がなく、六五デシベルではやや覚醒し、六九デシベル以上ではレベルが増加するに従い覚醒率が高くなり、七九デシベルでは総て覚醒したとされている。また、日常生活に及ぼす振動の影響をみると、環境庁が昭和四八年度から昭和四九年度にかけて実施した工場振動・道路交通振動・新幹線鉄道振動を対象とする住民の面接調査結果を多変量解析法により解析したところによれば、五五デシベル以上では住民が振動を感じ、七〇デシベル以上では物が揺れ気になることも明らかにされた。
(2) 振動レベルと身体的影響
<証拠>によれば、強い振動は、血圧の上昇、末梢血管の収縮(局所振動の場合だけでなく、全身振動の場合でも)、呼吸数、脈拍数、酸素消費量の増加、胃や腸の運動の抑制といった交感神経系への影響のほかに、副腎皮質ホルモンの分泌増加、性ホルモンの分泌異常等をもたらす可能性があり、他方、弱い振動はこれらの影響は微弱で一過性であり、おそらく不快感として現われるにすぎないことが認められる。
(3) 本件地下鉄工事の騒音・振動と原告らの精神的被害
前記第三で認定説示の本件地下鉄工事内容、その施工機械の発する騒音・振動の程度・内容、本件地下鉄工事現場と原告ら居住地域の近距離性、原告らの愁訴する右被害内容等を総合考慮すると、原告らの睡眠妨害等を中心とした精神的肉体的苦痛、日常生活妨害等の被害は、本件地下鉄工事の騒音・振動等により生じたものであることは優に肯認できるが、睡眠妨害と騒音・振動レベルの定量的把握は個人差も大きく、事柄の性質上未だ困難で定見をみない。しかし、本件地下鉄工事の騒音・振動等の前記特異性及び前記調査・実験研究結果(とりわけ騒音・振動の人体に及ぼす身体的精神的影響)並びに後記第五の騒音・振動規制基準等に照らし、更に本件沿道の前記第三記載の交通暗騒音等をも併せて検討考慮すると、本件沿道住民が本件地下鉄工事前と同様の夜間休息・安眠その他日常生活を確保でき、また健康に悪影響を及ぼさないためには、一応夜間室内での本件地下鉄工事による騒音・振動の限界レベルとして、個人差を考慮しても、騒音については五〇ないし五五ホン程度、振動については七〇ないし七五デシベル程度が限界値と解すべきところ、原告らが現実に受けた本件地下鉄工事の騒音・振動値を確定する確たる証拠資料はないが、原告らの陳述書及び法廷陳述によると、本件地下鉄工事中の室内騒音・振動レベルが窓等の遮音効果を考慮しても右レベルをはるかに超えていたと思える騒音・振動被害を訴える者が多く、また事実、前記工事機械の発生する騒音・振動の程度・内容(軽減措置を講じた数値によっても)と原告らが本件地下鉄工事現場の近くに居住していること等を考慮すると、右愁訴は合理的裏付けのあるもの(本件機械使用による前記騒音値参照。)といえるので、体感度の個人差等を考慮しても、本件地下鉄工事沿道住民は共通して同程度の騒音・振動の影響被害を受けていたことが一応推認できる(なお、右体感度自体から右レベルを超えていたかどうかを判定することは困難であるが、他面経験則上多数人の体感度からおおよその騒音・振動値を推認することは可能である)。
そうすると、本件地下鉄工事の騒音・振動等の中には、室内の右限界値としての騒音五〇ないし五五ホン、振動七〇ないし七五デシベルを超えるものがあり、主としてこれら限界値を超えて騒音・振動が原告らの愁訴する睡眠妨害等及びこれに伴う精神的身体的苦痛、更に日常生活の妨害等を招来したといわざるをえない。
なお、右限界値以下の騒音・振動等によっても、程度の差異はともかくとして、原告らが右精神的被害を受けたことは否定できない。更に、程度・状況はともかくとしても、本件地下鉄工事により発生した粉塵によって本件沿道居住の原告らが被害を受けたことも明らかである。
三 本件家屋被害
1 原告ら家屋の損傷状況
(一) 事前調査及び事後調査
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 事前調査
本件地下鉄工事着工に際し、その沿道家屋の工事着工前の状況、即ち、その基礎、外装・内装、柱の傾斜、壁の状況等を明らかにする目的で、被告大阪市交通局庶務課調査係の事務担当者・技術担当者及び被告大阪市を除く被告ら各請負業者らの現場事務所渉外主任・建築担当者は、補助者と共に本件沿道の南北三〇メートル範囲(掘削深度の倍という考え方による。)の全家屋の事前調査を実施し、各家屋について、居住者から説明を聴取し、クラック等変化のみられる部分についてはこれを写真撮影をし、更に家屋平面図を作成するなどしたうえで、右請負業者側がこれを各家屋ごとに、調査年月日・建物所有者の住所氏名・建物所在地・居住者の氏名職業・建物概要・調査要項等を記載し、撮影写真と家屋平面図を添付した「高速鉄道建設工事着手以前の沿道建物に関する調査報告」と題する調査報告書にまとめ、被告大阪市交通局宛てに提出している。
ところで、本件で被告ら請負業者から証拠として提出されている右各調査報告書を通覧すると、被告大阪市は被告ら各請負業者に柱・床の傾斜値を測定記載するように指導したというが(証人藤田伸三の証言)、同報告書には、そもそも柱の傾斜測定値の記載を欠く、或いはその記載はあってもその数がごく少数、若しくは測定地点の特定を欠き事後の調査結果との対照が困難である、また床の傾斜については全く記載を欠くなど、客観的に数値化された記載は極めて乏しく、本件地下鉄工事着工前の原告ら家屋の損傷状況を把握するために十分なものとは到底いえない。
前掲各証人の証言中には、損傷状況について測定調査がなされてもその記載が欠落していた旨の供述部分もあるが、同供述は右調査目的からみて不自然であり、むしろ、柱・床の傾斜等記載のない部分については特筆すべき損傷はなかったものと一応推認せざるを得ない。
(2) 事後調査
本件地下鉄工事完了後、被告大阪市交通局の事務担当者・技術担当者及び被告ら各請負業者の渉外主任・建築担当者が前記沿道家屋全部を個別に廻り、本件地下鉄工事による家屋の被害箇所の確認及び被害復旧方法(仕様)の検討・交渉等の事後調査・交渉を実施し、後記第七で認定説示のとおり、被告ら側で被害箇所の修理又は修理費の実費弁償により示談解決した。
しかしながら、右事後調査の主眼は、専ら被害復旧方法(仕様)の検討・交渉、更に示談解決の点におかれ、各家屋の被害箇所の確認の点については、被害者に対する照会回答等主として被害者からの指摘によるもので、それ以上に事前調査に関するデータとの対比検討などがなされたかどうか、更に本件地下鉄工事による地盤沈下又は将来そのおそれのあることを前提として家屋傾斜を中心とした構造的被害の調査確認とその損害補償の話し合いがなされたかどうかを窺わせるに足りる証拠はみられない。
(3) 株式会社合同設計の調査
株式会社合同設計は、後記被害者同盟の依頼により、本件沿道家屋の損傷状況について調査し、「都島地下鉄工事関連家屋被害調査研究報告書」と題する報告書(甲第一〇号証の一・昭和五四年一〇月付、同号証の二・昭和五五年三月付、同号証の三・昭和五五年六月付、甲第四三号証の一・昭和五八年一二月付、同号証の二・昭和五八年一二月付)にまとめている(以下「合同設計調査」として引用する。)。
そこで、次にこれらの調査結果をふまえて原告ら各家屋の損傷状況等について順次検討する。
(二) 原告ら各家屋の損傷状況等
各家屋の家屋概要、事前調査時点の状態、事後調査時点の状態は次のとおりであり、これによれば原告ら家屋が現時点において概ね本件地下鉄工事現場側へ傾斜していることは明らかである。
(1) 承継前原告藤井包孝(原告番号八番)所有家屋(不動産目録番号一番)
右(一)掲記の関係各証拠に加えて<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三〇年頃建築された木造セメント瓦葺二階建店舗兼居宅(一階二三・二七平方メートル、二階一九・〇〇平方メートル)であり、本件地下鉄工事現場の南側(連続土留杭からの直線距離約一五メートル)、第六工区のほぼ西端に位置している。本件地下鉄工事中は同原告の夫亡藤井包孝が同家屋において「不二屋」の屋号で食堂を営んでいた。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月八日)の状態
一部内外壁等に亀裂がみられ、柱が一本だけが(位置は不明)東方向に一〇〇〇ミリメートルに対し五ミリメートル、北方向に八ミリメートル傾斜しているとされていた。床の傾斜についての記載はない。
(ハ) 本件地下鉄工事完了後の昭和四九年三月、被告白石は同原告の依頼した同工事による被害箇所につき修理代金二二五万三〇〇〇円を支払って復旧修理をし、後記示談解決した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五五年二月二九日)の状態
一、二階併せて八本の測定柱が北ないし北西方向(本件地下鉄工事現場側)へ傾斜しており、その最大値は二階部分で一〇〇〇ミリメートルに対し五ミリメートルに達している。また、床も同様に北方向へ傾斜しており、その最大値は二階部分で一〇〇〇ミリメートルに対し九・一ミリメートルに達している。更に、新たな場所に壁の亀裂等がみられ、家屋全体で最大三ミリメートルの伸びがあり、床が盛り上がった部分、建具の開閉不能の部分がある。
(2) 原告中塚種博(原告番号一一番)所有家屋(不動産目録番号二番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三三年頃建築された木造セメント瓦葺二階建店舗で、同原告は「麻雀相互クラブ」・「喫茶エコー」の屋号で麻雀店及び喫茶店を営んでおり、同家屋は一階部分が店舗、二階部分が居宅となっていて、本件地下鉄工事現場の北側に位置している。昭和四〇年頃喫茶店部分が、その後麻雀店部分がそれぞれ改装されている。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月六日)の状態
一部内外壁に亀裂・隙間及び天井に雨漏り跡等がみられたほか、一階店舗(麻雀店)部分の柱のうち二本が南方向へ一〇〇〇ミリメートルに対し二ないし三ミリメートル(更に一本は西方向へ二ミリメートル、一本は東方向へ一ミリメートル)傾斜していると記載されている。床の傾斜についての記載はない。
(ハ) 本件地下鉄工事完了に近い昭和四八年一月、被告西松建設は同原告の依頼した被害個所につき修理費七五万一八一三円を支払って復旧修理を行ない、後記示談が成立した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五五年二月一三日)の状態
測定柱合計一〇本が南東、南西、南方向(本件地下鉄工事現場側)に傾斜しているが、その最大値は二階部分で、一〇〇〇ミリメートルに対し九ミリメートルに達している。また、外壁の亀裂も新たに生じたり拡大したりしている。更に、床も二階部分で南方向に最大一〇〇〇ミリメートルに対し九・三ミリメートル傾斜している。
(3) 承継前原告服部禧久雄(原告番号一六番)所有家屋(不動産目録番号三番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三二年頃建築された鉄骨及軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺二階建店舗兼作業場(一階一七五・八〇平方メートル、二階一五二・五三平方メートル)であり、本件地下鉄工事現場の北側に位置している。同原告は同家屋で「服部モーター商会」の屋号で輸入オートバイの販売等をしている。昭和四九年には、同原告は後記修理費で屋根の葺き替え、外壁の取り替え、室内の壁の塗装、土間の盛り上げ等の改築工事をしたが、建物の構造を改造するような工事はしていない。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月七日)の状態
内外壁、土間コンクリートにクラックがみられ、柱二本が西方向へ一〇〇〇ミリメートルに対し五ないし六ミリメートル、南方向へ二ミリメートル程度傾斜しているとされている。床の傾斜については記憶がない。
(ハ) 本件地下鉄工事完成に近い昭和四八年一月、被告西松建設は同原告の依頼により被害個所の復旧修理に代えて修理費金一五〇万円を支払、後記示談解決した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五五年二月五日)の状態
測定柱合計一七本がほぼ一様に南西方向(本件地下鉄工事現場側)に傾斜し、その最大数値は一階部分で一〇〇〇ミリメートルに対し一一ミリメートル、二階部分では一二ミリメートルに達している。また、床は一階は業務の関係から水平に補修されているが、二階部分は建物南側に傾斜が集中し、傾斜値は一〇〇〇ミリメートルに対して平均で五ミリメートル程度、最大値で八・一ミリメートルとなっている。更に、一階部分の作業場コンクリート土間には東西に大きなクラックが走り、本件地下鉄工事現場に最も近い八畳和室では、床板と敷居との間に隙間六ミリメートルを生じ、その他建具枠の歪み、雨漏り等を生じている。なお、右家屋の本件地下鉄工事現場側への伸び最大測定値は一二ミリメートルとされている。
(4) 原告株式会社根来製作所(原告番号二九番)所有家屋(不動産目録番号四番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三二年頃建築された木造瓦葺二階建倉庫居宅(一階一一二・〇二平方メートル、二階一一六・三八平方メートル)であり、本件地下鉄工事現場の北側に位置している。同原告の夫承継前原告根耒正二は昭和四六年一二月に右建物を買い受け、同四七年三月外装修理工事を行ない、以後同家屋で理化学機械の製造業を営んでいた。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月七日)の状態
外壁にクラック或いはモルタルの剥離がみられ、一階工場部分の柱のうち一本が東方向へ一〇〇〇ミリメートルに対し五ミリメートル、一本が北方向へ一〇ミリメートル傾斜しているとされている。床の傾斜についての記載はない。
(ハ) 本件地下鉄工事完了後、被告大阪市及び被告西松建設の担当者らが右原告会社を訪ね家屋被害の有無を確認したが、同原告会社からは被害なしの回答がなされた。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五五年六月一一日)の状態
測定柱合計七本のうち五本が一様に南方向ないし南西方向(本件地下鉄工事現場側)へ傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し一階部分で南方向へ四ミリメートル、西方向に一二ミリメートル、二階部分で南方向へ二ミリメートル、西方向へ九ミリメートルとなっている。なお、柱の本件地下鉄工事現場側への最大傾斜値は一〇〇〇ミリメートルに対し八ミリメートルとなっている。また、床の傾斜は南方向への傾斜が顕著であり、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し二階部分で一〇・四ミリメートルとなっている。建具の損傷等はみられない。
(5) 原告新宅弘三郎(原告番号三〇番)所有家屋(不動産目録番号五番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三六年頃建築された木造瓦葺二階建店舗(一階一〇一・四八平方メートル、二階一〇一・四八平方メートル)であり、本件地下鉄工事現場の北側に位置している。同原告は同家屋を貸事務所として利用している。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月八日)の状態
一階貸事務室には通路・土間・手洗正面入口・正面角外壁等にクラック或いはタイルの一部剥離が、二階部分には風呂場タイルにクラック、六畳和室の南西角に隙間、洗面タイルに隙間がみられるとともに、柱については二階応接室入口部分の一本が西方向へ一〇〇〇ミリメートルに対し六ミリメートル傾斜しているとされている。床の傾斜についての記載はない。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四八年四月、被告西松建設が右原告側の依頼により修理費二一三万二五〇〇円を支払って被害個所の復旧修理を行ない、後記示談解決がなされた。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五五年二月六日)の状態
測定柱一一本がほぼ一様に南東、南、南西方向(本件地下鉄工事現場側)に傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し一階部分で南方向へ一三ミリメートル、二階部分で一〇ミリメートルとなっている。また、床については一〇〇〇ミリメートルに対し二階部分の中央から真南方向へ八・五ミリメートルの、東方向へ一五・三ミリメートルの傾斜があるとされている。更に、一、二階とも外壁に多数のクラックが走り、雨漏り跡も残っている。
(6) 承継前原告辻本秀次郎(原告番号四三番)所有家屋(不動産目録番号六番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和二五年頃建築された木造瓦葺平家建居宅(三八・三一平方メートル)であり、昭和三六年八月頃増築が、昭和四五年頃一階部分の改築がなされた。本件地下鉄工事現場の北側に位置している。
(ロ) 事前調査時点(昭和四六年一〇月一七日)の状態
柱・床の傾斜・外観等について格別の記載はない。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四八年一二月、右原告らの依頼により被告西松建設は修理費一三〇万八〇〇〇円を支払って被害個所の復旧修理を行ない、後記示談解決がなされた。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五五年二月一九日)の状態
測定柱一五本のうち二本を除きほぼ一様に南東方向(本件地下鉄工事現場側)に傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し一階部分で一三ミリメートル、二階部分で五ミリメートルとなっている。また、床も同様に南方向へ傾斜しており、その最大値は二階部分で一〇〇〇ミリメートルに対し一一ミリメートルに達している。更に、数箇所にわたり壁に亀裂が入り、家屋全体のずれと伸びが生じている。なお、右家屋の本件地下鉄工事現場側への伸びの最大測定値は一七ミリメートルとなっている。
(7) 原告奥村幸次(原告番号四九番)所有家屋(不動産目録番号七番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同原告は鉄鋼建材販売業を営んでおり、昭和三四年頃建築した鉄筋コンクリート造陸屋根塔屋付三階建店舗付居宅(一階六七・一七平方メートル、二階七三・四五平方メートル、三階七二・四二平方メートル、塔屋三・九〇平方メートル、以下「第一建物」という。)と昭和四一年頃建築した鉄骨造陸屋根三階建事務所兼倉庫(一階七五・二二平方メートル、二階七七・七二平方メートル、三階七七・七二平方メートル、以下「第二建物」という。)を所有している。第一建物は原告奥村松枝(原告番号一四五番)所有建物(不動産目録番号一六番)の東隣りにあり、一階が事務所、二階・三階が住居となっており、同建物は本件地下鉄工事現場の北側に位置している。原告奥村幸次は昭和四八年には後記弁償金で外装修理工事をしたが、建起し揚家工事等は行なわなかった。第二建物は第一建物から六、七軒の建物を隔てて西側にあり、事務所及び倉庫として使用され、本件地下鉄工事現場の北側に位置している。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月二日)の状態
<1> 第一建物
柱や床の傾斜についての記載は特にない。
<2> 第二建物
床や壁に亀裂が認められるものの、柱や床の傾斜についての記載は特にない。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四八年七月、右原告らの依頼により、被告西松建設は第一建物については復旧修理実費弁償金二五〇万円を支払い、第二建物については修理費三六万三九〇〇円を支払って被害復旧修理を行ない、後記示談解決がなされた。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五五年二月七日)の状態
<1> 第一建物
測定柱一六本は一階の一本を除き一階から三階までほぼ一様に北ないし北東方向(本件地下鉄工事現場とは反対方向)に傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し一階部分で一一ミリメートル、二階部分で一一ミリメートル、三階部分で一四ミリメートルとなっている。また、床は二階と三階で大きく傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し二階部分で一二・二ミリメートル、三階部分で一一ミリメートルとなっている。壁の亀裂等外観上の損傷は特に認められない。
なお、本件地下鉄工事現場側への柱及び床の傾斜については、右調査結果からは明らかでないし、また他にこれを認めるに足りる証拠はない。
<2> 第二建物
測定柱は一階から三階までほぼ一様に南西、南、南東方向(本件地下鉄工事現場側)に傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し一階部分で九ミリメートル、二階部分で一五ミリメートル、三階部分で七ミリメートルとなっている。また、床は二階と三階で傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し二階部分で一一ミリメートル、三階部分でも一一ミリメートルとなっている。スラブ・床モルタル等の亀裂が存在し、一部隙間も生じている。更に、右建物の本件地下鉄工事現場側への伸びの最大測定値は五ミリメートルとされている。
(8) 原告澤義雄(原告番号六三番)所有家屋(不動産目録番号八番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は本件地下鉄工事現場の南側に位置し、同原告は同家屋で「ラクダ屋」の屋号で洋服店を営んでいる。同家屋は本件地下鉄工事現場に近い部分の鉄骨造三階建建物が昭和三六年頃、同工事現場に遠い部分の木造二階建建物が昭和二八年頃それぞれ建築され結合されたものである(一階九四・五七平方メートル、二階八五・二八平方メートル、三階四三・二〇平方メートル)。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月九日)の状態
壁面モルタル・タイルの一部脱落・剥離等が認められるものの、柱や床の傾斜についての記載は特にない。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四九年六月、同原告の依頼により、被告松村組は二二二万三五〇〇円を支払って同原告の指摘した被害個所のすべての復旧修理工事を行ない、同原告も補償工事の完了を承認した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五四年三月一五日、一九日)の状態
鉄骨造部分は測定柱一一本がほぼ一様に北東ないし北西方向(本件地下鉄工事現場側)に傾斜しており、その値は一〇〇〇ミリメートルに対し二ないし一一ミリメートルとなっている。また、床も傾斜しており、その値は一〇〇〇ミリメートルに対し四・七ないし六・九ミリメートルとなっている。更に、建具と建具枠との間に隙間を生じており、その最大値は一六ミリメートルに達し、伸びも最大値で九ミリメートルに達し、二、三階部分に雨漏りの跡もみられる。これに対し、木造部分は一階では四本の測定柱が一様に南西方向(本件地下鉄工事現場側とは反対側)へ傾斜し、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し六ミリメートルとなっており、二階部分では五本の測定柱のうち四本が北西ないし北東方向(本件地下鉄工事現場側)へ傾斜し、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し六ミリメートルとなっている。残りの一本は南西方向へ傾斜している。
(9) 承継前原告西田陽彦(原告番号八七番)所有家屋(不動産目録番号九番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は同承継前原告が昭和二一年頃購入し、昭和二四、五年頃二階部分を含む西側を増築し、更に、昭和四二年頃南側を増築した木造瓦葺二階建工場居宅(一階三八・三八平方メートル、二階三八・三八平方メートル)であり、玄関と駐車場が本件地下鉄工事現場の南側に位置している。同原告は本件地下鉄工事中同家屋で「西田電機製作所」の屋号で電機店を営んでいた。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月二日)の状態
内外壁・土間・軒先・庇表等のクラック、雨漏り跡、一部壁の浮き・脱落等がみられたほか、傾斜値一〇〇〇ミリメートルに対し四ミリメートル以下の柱が一階部分では六本(一本は東方向へ三ミリメートル、北方向へ二ミリメートルと三ミリメートル、一本は西方向へ三ミリメートル、南方向へ二ミリメートルと四ミリメートル傾斜)、傾斜値五ミリメートル以上の柱が一階部分では二本(一本は東方向へ五ミリメートル、一本は西方向へ五ミリメートル傾斜)、二階部分では三本(一本は南方向へ一〇ミリメートル、一本は東方向へ二ミリメートル、南方向へ八ミリメートル、一本は西方向へ三ミリメートル、南方向へ七ミリメートル傾斜)それぞれ存在した。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四八年一〇月、右西田陽彦の依頼により、被告栗本建設は家屋被害の復旧修理補償金として金二八〇万円を支払い、後記示談解決したが、同原告側においてその後も見るべき修理をした形跡はみられない。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五四年三月二〇日)の状態
測定柱二三本は一階部分で四本を除きほぼ一様に北西、北、北東方向(本件地下鉄工事現場側)に傾斜し、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し九ミリメートルに達しており、また、傾斜値四ミリメートル以下の柱が一階部分では一〇本、二階部分では三本、傾斜値五ミリメートル以上の柱が一階部分では一〇本、二階部分では四本となっている。更に、床は一階部分及び二階部分で本件地下鉄工事現場側へ傾斜し、その値は一〇〇〇ミリメートルに対し最大一二ミリメートルとなっており、一階部分の床の傾斜値は、北方向に向かって大きくなっている。その他、外壁からコンクリート基礎部分にかけて大きな亀裂数箇所、基礎コンクリートの北方向への滑り出しがみられ、柱と鴨居のずれ、敷居と床のずれも生じている。
(10) 原告桐本榮一(原告番号九一番)所有家屋(不動産目録番号一〇番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三一年頃建築された木造瓦葺平家建店舗居宅(三八・三八平方メートル)で本件地下鉄工事現場の南側に位置している。同原告は本件地下鉄工事中同家屋で「三共文具」の屋号で文具店を営んでいた。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月一日)の状態
内外壁・土間にクラック等がみられるほか、柱一本が北側に一〇〇〇ミリメートルに対し一八ミリメートル、東側に一ミリメートル、もう一本が南側に二ミリメートル、西側に八ミリメートル傾斜しているとされている。床の傾斜についての記載はない。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四九年八月、同原告の依頼により、被告栗本建設は修理費一三三万二五〇〇円を支払って同原告の指摘した家屋被害個所の復旧修理を行ない、後記示談解決した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五五年二月一五日)の状態
測定柱四本が北西、北、北東方向に一〇〇〇ミリメートルに対し一六ないし二七ミリメートル傾斜している。また、床も北方向に最大値で一〇〇〇ミリメートルに対し五・九ミリメートル傾斜している。
(11) 原告山内勝博(原告番号九二番)所有家屋(不動産目録番号一一番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和二六年頃建築された木造瓦葺二階建居宅(一階五六・六九平方メートル、二階四〇・四二平方メートル)で、二階洋室は本件地下鉄工事中の昭和四六年にベランダを改造して作られ、その際同時に店舗の改装がなされたものであり、同家屋は本件地下鉄工事現場の北側に位置している。同原告は本件地下鉄工事中同家屋でクリーニング業を営んでいた。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月三日)の状態
内外壁・土間のクラック、壁の浮き・脱落部分等があったが、柱は測定柱五本のうち四本が北西方向へ傾斜しており、その最大値は北方向へ一〇〇〇ミリメートルに対し一〇ミリメートルとされている。床の傾斜についての記載はない。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四九年八月、同原告の亡父山内茂の依頼により、被告栗本建設は修理費三〇万四〇〇〇円を支払って亡山内茂の指摘した家屋被害個所の復旧修理を行ない、同人との間で後記示談解決した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五五年二月一二日)の状態
測定柱一五本がほぼ一様に南西、南、南東方向(本件地下鉄工事現場側)に傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し一階部分で一三ミリメートル、二階部分でも一三ミリメートルとなっている。また、床は一階カウンター東側土間付近で南方向に傾斜しており、その値は一〇〇〇ミリメートルに対し一六ミリメートルとなっており、二階南の部屋では二四・二ミリメートルとなっている。西側外壁には大きなクラックを生じ、一階奥の脱衣室の柱のずれ及び敷居のずれは最大五ミリメートル或いは二六ミリメートルに達し、二階の和室六畳間において八ミリメートルのずれ、本件地下鉄工事現場に近い洋室の床と巾木との間には隙間が生じ、建具の建て付けは不良となり、家屋全体のずれが生じている。
(12) 原告平林潔(原告番号九六番)所有家屋(不動産目録番号一二番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は鉄骨造及木造瓦合成樹脂板陸屋根交葺三階建診療所及居宅(一階八八・一三平方メートル、二階七五・〇六平方メートル、三階四五・九二平方メートル)で、昭和二六年頃建築され、当初は木造平家建建物であったが、昭和二九年頃二階が増築され、昭和四〇年頃鉄筋コンクリート造の三階建建物に増改築され、昭和四四年頃二階建部分が増築されたもので、同家屋は本件地下鉄工事現場の北側に位置している。同原告は同家屋で歯科診療所を営んでいる。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月六日)の状態
内外壁・土間等にクラック等がみられるほか、南方向への柱の傾斜は殆どなく、主に西方向への柱の傾斜がみられ、傾斜値は概ね一〇〇〇ミリメートルに対し一ないし二ミリメートルであり、七ミリメートル、五ミリメートルが各一箇所、三ミリメートルが二箇所にそれぞれみられる程度である(第一回調査)。新しく増改築された部分に最大五ミリメートルの傾斜が認められた。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四九年八月、同原告の依頼により、被告栗本建設は七〇万四六〇〇円を支払って同原告の指摘した家屋被害個所を復旧修理し、後記示談解決した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五四年三月九日)の状態
測定柱一〇本はすべて南西、南、南東方向(本件地下鉄工事現場側)へ傾斜しており、その傾斜値の最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し、柱については二一ミリメートル、床については一二・六ミリメートルとなっている。
(13) 原告木下渡(原告番号一一二番)所有家屋(不動産目録番号一三番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三一年頃建築された木造瓦葺二階建店舗付居宅であり、本件地下鉄工事現場の北側に位置している。同原告は同家屋で「大黒屋」の屋号で建築金物業を営んでいる。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月四日)の状態
土間のクラック、壁のクラック、雨漏り跡はみられるが、床の傾斜についての記載はなく、測定柱四本のうち南方向へ傾斜しているもの二本(一〇〇〇ミリメートルに対し四ミリメートルと二ミリメートル)、北方向へ最大傾斜値一〇〇〇ミリメートルに対し七ミリメートル傾斜しているもの二本であった。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四九年八月、同原告の依頼により、被告栗本建設は修理代二八七万円を支払って同原告が指摘した家屋被害個所を復旧修理し、後記示談解決した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五四年三月一二日)の状態
測定柱一六本の傾斜は南西、南東方向(本件地下鉄工事現場側)へのものが顕著になっており、床は一階部分が補修してあるため測定不能であるが、二階部分の傾斜値は最大南方向へ一〇〇〇ミリメートルに対し一九ミリメートルとされている。また、柱の最大傾斜値は南方向へ一〇〇〇ミリメートルに対し一一ミリメートルとされている。このほか建具枠の歪み、建具の開閉不能、内外壁のクラック、天井の雨漏り等が生じている。
(14) 承継前原告山城亀徳(原告番号一一八番)所有家屋(不動産目録番号一四番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和二七年頃同原告が取得し、昭和三二年頃に一階部分を、昭和三五年頃に二階部分をそれぞれ増築した木造瓦葺二階建居宅(登記簿上、三九・九九平方メートル)であり、本件地下鉄工事現場の北側に位置している。同原告は同家屋に居住しアパート経営をしていた。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月八日)の状態
内外壁・土間に一部クラックが存在し、建具の建て付け不良、雨漏り跡も存在するとともに、一階部分の柱は測定柱五本のうち二本が南方向へ傾斜し(最大値一〇〇〇ミリメートルに対し八ミリメートル)、二階部分の測定柱四本のうち三本が南方向へ傾斜(最大値一〇〇〇ミリメートルに対し八ミリメートル)しているとされている。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四九年八月、右山城亀徳の依頼により、被告栗本建設は修理費一四六万円を支払って同人の指摘した家屋被害個所を復旧修理し、後記示談解決した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五四年三月一六日)の状態
測定柱一八本のうち、一階部分と二階部分と併せて一〇本近くが南西、南、南東方向(本件地下鉄工事現場側)へ傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し一階部分で一四ミリメートル、二階部分で一一ミリメートルとなっている。また、床も一階部分及び二階部分共に南方向へ傾斜しており、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し一階部分で六・四ミリメートル、二階部分で一〇・九ミリメートルとなっている。内壁に亀裂が入り、基礎コンクリート部分が割れ、最大一四ミリメートルの伸びが生じ、敷居と床の間に隙間が生じている。
(15) 原告磯邊正雄(原告番号一四三番)所有家屋(不動産目録番号一五番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三七年頃建築された鉄筋コンクリート造陸屋根五階建店舗(一階九一・三三平方メートル、二階八九・八五平方メートル、三階一〇六・四一平方メートル、四階一〇六・四一平方メートル、五階四一・〇二平方メートル)で、本件地下鉄工事現場の北側に位置している。同原告は同家屋に居住し貸ビル業を営んでいる。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月二日)の状態
内外壁にクラック、雨漏り跡等がみられたほか、柱四本が次のように傾斜(一〇〇〇ミリメートルに対し)していた。床の傾斜の記載はない。
東方向へ二ミリメートル・北方向へ六ミリメートル
西方向へ一ミリメートル・南方向へ九ミリメートル
西方向へ七ミリメートル・北方向へ三ミリメートル
西方向へ五ミリメートル・南方向へ五ミリメートル
(ハ) 本件地下鉄工事完成に近い昭和四七年一一月、同原告の依頼により、被告栗本建設は同原告が指摘した家屋被害個所の復旧修理代金として金一〇〇万円を支払い、後記示談解決した。そして、同原告は昭和四八年秋頃本件建物の修理工事をした。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五八年一一月一〇日)の状態
測定柱二八本は南西、南、南東方向(本件地下鉄工事現場側)へ傾斜し、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し一階部分で一二ミリメートル、二階部分で一一ミリメートル、三階部分で七ミリメートル、四階部分で一〇ミリメートルとなっている。また、床の傾斜は上の階ほどその度合が大きくなり、最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し三階部分では南西方向へ六ミリメートル、南方向へ六・七ミリメートルとなっている。
(16) 原告奥村松枝(原告番号一四五番)所有家屋(不動産目録番号一六番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三二年頃建築された木造瓦葺二階建店舗兼居宅(一階三五・〇四平方メートル、二階三三・四五平方メートル)であり、本件地下鉄工事現場の北側に位置している。同原告(正一)は同家屋で機械工務店(近畿軸受興業株式会社)を営んでいる。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月一日)の状態
柱は一階部分で一本、二階部分で三本が主に西方向へ傾斜し、北方向への傾斜は一〇〇〇ミリメートルに対し二ミリメートル程度であった。床の傾斜についての記載はない。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四八年八月、同原告ら夫婦の依頼により、被告西松建設は同人らの指摘した家屋被害個所の復旧修理費として金一四五万円を支払い、後記示談解決した。そして、同原告らはその後右家屋の修理工事をした。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五八年一一月一〇日)の状態
測定柱は一階部分で六本、二階部分で七本が傾斜し、北方向への傾斜は最大値で一〇〇〇ミリメートルに対し一八ミリメートルとなり、東方向への傾斜も最大値で一〇〇〇ミリメートルに対し一八ミリメートルとなっている。なお、柱の本件地下鉄工事現場側への最大傾斜値は一〇〇〇ミリメートルに対し五ミリメートルとなっており、また、同方向への床の最大傾斜値は一〇〇〇ミリメートルに対し一九・七ミリメートルとなっている。この他敷居・鴨居の歪み、建具の開閉不能、雨漏り等が生じている。
(17) 原告鎌田タニ子(原告番号一四八番)・原告下中孝治(原告番号一四九番)共有家屋(不動産目録番号一七番)
右(一)関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三七年頃購入された木造瓦葺二階建店舗兼居宅(一階七・八〇平方メートル、二階七・八〇平方メートル)とその南側の木造瓦葺平家建店舗兼居宅(七・五三平方メートル)が、その際南側建物は改築され、北側建物は柱・壁等を取り替え改造されたものであり、本件地下鉄工事現場の南側に位置している。原告鎌田タニ子は「下中不動産」の屋号で同家屋で不動産賃貸仲介業を営んでいる。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月一日)の状態
内外壁に一部クラックと建具の建付不良がみられ、柱三本が傾斜しているが、その傾斜方向は東、南、南東方向(最大値東方向へ一〇〇〇ミリメートルに対し一五ミリメートル)であり、床の傾斜についての記載はない。
(ハ) 昭和四七年一一月、同原告らの父下中地藏重太郎の依頼により、被告西松建設は同人の指摘した家屋被害個所の復旧修理代金として金一五万円を支払い、後記示談解決した。そして同原告らはその後右家屋の修理工事をした。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五八年一一月一〇日)の状態
測定柱八本は主に西ないし北西方向へ傾斜しており、その最大値は一階奥の平家建部分で一〇〇〇ミリメートルに対し西方向へ二〇ミリメートル、北方向へ六ミリメートルとなっており、二階部分で一〇〇〇ミリメートルに対し西方向へ二六ミリメートル、北方向へ一〇ミリメートルとなっている。また床は、最大傾斜値が一〇〇〇ミリメートルに対し、一階奥の平家部分で北方向へ五・五ミリメートル、西方向へ二五・七ミリメートル、本件地下鉄工事現場に近い二階建部分で北方向へ一〇ミリメートル、西方向へ二六ミリメートルとなっている。
(18) 原告若林寿美子(原告番号一五〇番)・原告若林よし子(原告番号一五一番)・原告若林和子(原告番号一五二番)共有家屋(不動産目録番号一八番)
右(一)掲記の関係各証拠に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 家屋概要
同家屋は昭和三一年頃建設された木造瓦葺二階建居宅(一階五三・三二平方メートル、二階三二・七九平方メートル)であり、本件地下鉄工事現場の南側に面している。原告若林寿美子は同家屋で「若林洋品店」の屋号で洋品店を経営している。
(ロ) 事前調査時点(昭和四四年一〇月三日)の状態
内外壁に一部クラック等がみられ、測定柱四本は主に西ないし南方向へ傾斜(最大値西方向に一〇〇〇ミリメートルに対し一〇ミリメートル、南方向六ミリメートル)している。床の傾斜についての記載はない。
(ハ) 本件地下鉄工事完成後の昭和四九年五月、右家屋の前所有者若林石太の依頼により、被告栗本建設は修理費八一万円を支払って同人が指摘した家屋被害個所の復旧修理工事を行ない、後記示談解決した。
(ニ) 合同設計調査時点(昭和五八年一一月一七日)の状態
測定柱一三本は概ね西ないし北西方向へ傾斜し、その最大値は一〇〇〇ミリメートルに対し、一階部分で西方向へ一二ミリメートル、二階部分で北西方向へ一三ミリメートルとなっており、柱の本件地下鉄工事現場側への最大傾斜値は一〇〇〇ミリメートルに対し九ミリメートルとなっており、また、床も一〇〇〇ミリメートルに対し一階台所部分で北西方向へ七・六ミリメートル、二階の本件地下鉄工事現場に最も近い四・五畳の和室で北方向へ一二・三ミリメートル、西方向へ一〇ミリメートル傾斜している。
2 本件地下鉄工事と原告ら家屋の損傷との因果関係
(一) 軟弱地盤とその掘削に関する一般的問題点
(1) 軟弱地盤の定義
<証拠>によれば次のことが認められる。即ち、軟弱地盤とは軟弱土からできている地盤を指称し、軟弱土とは強度が弱くまた軟らかく圧縮しやすい土といえるので、地盤が軟弱かどうかの評価は、その上に造られる構造物の規模や荷重強度などによって変る相対的な概念である。
こうした土の相対的な強度を示すには、粘土やシルトのような粘着力成分の多い土と、砂や礫のように粘着力成分の少ない土とに分けて、軟弱度を判定するのが一般である。
まず粘性土の場合は、それが「コンシステンシー」という概念で表現され、粘土のコンシステンシーと試料採取用スプーンの標準貫入試験の打撃回数(N値)との関係を示す数値は次のとおりである。
コンシステンシー「非常に軟らかい」N値二より小
同「軟らかい」 N値二ないし四
同「普通の」 N値四ないし八
同「硬い」 N値八ないし一五
同「非常に硬い」 N値一五ないし三〇
同「固結した」 N値三〇より大
一方、砂や礫などの粗粒土については、コンシステンシーに代るものとして相対密度の概念が用いられ、次のように区分される。
相対密度「非常にゆるい」 打撃回数N〇ないし四
同「ゆるい」 打撃回数N四ないし一〇
同「普通の」 打撃回数N一〇ないし三〇
同「密な」 打撃回数N三〇ないし五〇
同「非常に密な」 打撃回数N五〇以上
これを本件地下鉄工事現場の地盤についてみると、例えば大川以東の地盤についていえば、地表面下一〇ないし一三メートル付近にかけ連続した層厚三ないし四メートルの軟弱な粘性土層をはさみ、その上下部に地下水を豊富に滞水する崩壊性の高い砂層が分布している。因みに、その砂層の標準貫入試験N値は一ないし一〇であり、前記分類によっても相当に軟弱な地盤といえる。
(2) 軟弱地盤で深い掘削をする場合の問題点
<証拠>によれば、軟弱地盤の掘削工事をする場合、一般に次の問題点が指摘されていることが認められる。なお、「地盤沈下」という用語は地表面が短期間に低下する現象一般を指すものとして用いられる。
(イ) 地下水のポンプアップによる周囲地盤の圧密沈下
根切(掘削)工事を行なう場合、掘削敷地内の地下水だけをポンプアップできれば、周囲地盤の沈下・隣接建物の倒壊等の事故を生じることなく掘削工事ができるが、現状の縦矢板工法で完全遮水をするにはよほど地盤条件・施工精度が良くなければ困難であり、また完全遮水には相当なコストアップにならざるを得ない。完全遮水をせずに掘削工事をした場合、地下水のポンプアップによる各種弊害を生ずるおそれがある。
(ロ) 山留支保工の不完全による矢板移動に伴う周囲地盤の沈下・崩壊
<1> 支保工の収縮・めり込み・なじみ
鋼製支保工の場合にも、切梁の各継手位置のクリアランスにより縦矢板の移動を生じ、支保工の収縮・めり込み・なじみを生じる場合もある。
<2> 腹起こし材の断面不足・火打ち材の緩み
シートパイル等止水効果の大きい縦矢板を用いる場合によく生ずる。
支保工材の中で強度計算をすると、一番弱いのが腹起こし材である。このため火打ち材を設けるが、火打ち材は腹起こし材がある程度曲ってきて初めて有効に働くので、周囲地盤の沈下を完全に防止するための火打ち材を用いることが望ましいとされている。
<3> 根切り底土が軟弱、或いは根入れ不足のための矢板変形
矢板変形は、軟弱地盤でシートパイルのように止水効果が高く、かつたわみ性の縦矢板材を使用する場合に生じやすい。足許がすくわれる場合以外に、途中の掘削段階で切梁架設が遅れると、根切り底土以深で縦矢板を押えている不動点が深くなり、縦矢板がたわんでしまう場合も生じるので注意を要する。
<4> 矢板継ぎ目からの土砂の流出・矢板背面土砂のオーバーカット
共に親杭・横矢板工法の場合に生じやすく、裏込み土砂の詰め方や地下水の状態によっては発生しないこともある。横矢板の入れ方は一般に一・〇ないし三・〇メートル程度毎に掘削しては横矢板を挿入するという繰返し作業のために、掘削時にその上の土砂を流出させたり、横矢板がずれたりしやすいから特に注意を要する。
(ハ) 施工法決定時の点検ミスによるヒービング・ボイリング・滑りなどの発生
<1>ヒービング
ヒービングは軟弱地盤を堀削する時に発生しやすい現象で、軟弱な縦矢板裏側の土砂を根切り底以深の土が押えきれなくて盛り上がる現象をいう。
<2> ボイリング
ボイリングは縦矢板が完全止水し、かつ地下水位が高かったりした場合、根切り底以深の地下水がちょうど湯が煮えたぎるような状態で吹き上げる現象をいう。
<3> 滑り
滑りは法面が安定せずに滑ってしまう現象をいう。
(ニ) 掘りすぎ・掘削順序又は掘削方法のミスによる崩壊
山留の全面崩壊等の大事故につながるので、特に注意を要する。
(3) 軟弱地盤における開削工法を施工する場合の問題点
以上のとおり、軟弱地盤で開削工法を施工する場合、土圧・ボイリング・ヒービング・水位低下・地盤沈下等が設計・施工上の問題点となる。そのため土質バロメーターとして粘着力・内部摩擦角・単位体積重量・体積圧縮係数・圧密係数・圧密降伏応力・隙間水圧に注意しなければならず、現場計測試験として地表面・地中変位・山留土圧・変位・切梁軸力・近接構造物変位の測定がなされなければならない。
また、一般に軟弱地盤で開削工法を施工すると脱水圧密により地盤沈下を生じるといわれる。
(二) 大阪平野と都島地区の地盤
<証拠>によれば次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
原告ら各居住敷地及び本件地下鉄工事現場の存する都島地区は、大阪平野の東北部に位置する。大阪平野の殆どは、第三紀地質時代には第一瀬戸内海(約二六〇〇万年前)、第二瀬戸内海(約一五〇万年ないし二〇〇万年前)の中にあり、第四紀に入っても一〇回以上も大阪湾底となっているので、最終氷期の終る一万年前には海底にあり、その後の堆積層である沖積層によって形成されたデルタ地域であり、全体として軟弱地盤から成っている。大阪平野の地質構造として、基盤といわれる第三紀層の上層は地下六〇〇メートルの深さに及び、その上に地質学的には生成の若い洪積層が乗っており、更に、その上に軟弱な沖積層が厚い層を成している。大阪平野の中でも都島地区は、その地名からも分かるように数百年前までは沼沢地であり、厚い沖積層から成る軟弱地盤の地域である。
また、都島地区は地盤の構成が一様ではなく、厚さ約二二メートルの沖積層の上層砂層中にレンズ状に粘土層が存在する。大阪平野の沖積層は粘土層を下層とし砂層を上層としているのが普通であるが、ここでは砂質土の間に粘土層が混入し複雑な地層を形成しているのである。
(三) 大阪市と都島地区の地盤沈下
<証拠>によれば、大阪市内の地盤沈下傾向は顕著で、累積沈下等量は昭和三九年から昭和五四年の間だけでも約一〇センチメートルに及んでいること、また、その中でも都島付近についてみると、昭和一〇年から昭和五五年の間の累積沈下等量は約四〇センチメートルに及んでいること、事実本件地下鉄工事着工前に既に都島交差点の角にある三和銀行とその前の歩道間には地盤沈下によるクラックが生じていたことが認められる。
都島地区の経年的な地盤挙動を考えるうえでは、大阪市全体の右のような地盤沈下をも考慮せざるを得ない。
(四) 本件工事現場の地盤
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
本件各工区の地盤の土質概要は、別紙「第2号線線路平面図および縦断面図」記載のとおりであり、地表面下二二ないし二四メートル付近まで分布する沖積層とそれ以深は非常に固く締った洪積砂礫層とで構成されている。沖積層は、大川周辺では地表面下一〇メートル付近の層厚約一メートルのシルト層、それを挟んでその上・下部に存在するゆるい砂層、洪積層の上部に分布する比較的締った砂礫層によって構成されている。大川以東は地表面下一〇ないし一三メートル付近にかけ層厚三ないし四メートルの連続した粘性土が分布し、その上部はシルト分を含有した標準貫入試験N値が一ないし一〇の非常にゆるい砂層、下部は上部層に比べ比較的締ったシルト分を含んだ砂層が分布している。また、地下水位は地表面下一メートル程度である。
したがって、本件地下鉄工事現場の地盤は極めて軟弱な地盤であることは明らかであり、本件地下鉄工事によって右地盤にある程度の挙動を生じたことは、被告らにおいても特に争うものではない。
(五) 災害調査研究所調査団による「大阪市都島地区地下鉄工事と沿線の家屋被害の関係についての鑑定報告書」(甲第四〇号証)
右鑑定報告書は、京都教育大学教授(地質学)木村春彦・同(地下水理学)川端博・京都府立大学助手(住居学)上野守美乃・学生大栗晶士外六名が、原告ら被害住民の依頼により、本件地下鉄工事と原告ら主張の家屋被害との因果関係の存否に関し、昭和五七年六月から同年一二月にかけて本件沿道中都島本通一丁目ないし四丁目間に所在する各家屋についてアンケート調査・被害家屋の床や柱の傾斜状況の測定調査を実施し、右各調査結果に基づく考察を昭和六〇年九月に報告書としてまとめたものである(以下「調査団鑑定」という。)が、その要旨は次のとおりである。
(1) 調査結果
(イ) アンケート調査
本件沿道家屋七〇軒(木造六二軒・鉄骨造六軒・鉄筋造二軒)を対象に、建築時期・構造・規模・被害発生時期・被害の種類(三一項目)・修理再修理の有無等の調査項目について、戸別訪問の方法によりアンケート調査を実施した。
(ロ) 測定調査
二、三名の班に分れ、床についてはウォーターレベルと水準器付傾斜計を、柱については傾斜計をそれぞれ用い、各被害家屋の床・柱の傾斜の方向・程度を測定し(但し、留守・調査拒否等による全部測定不能、家具や商品の配置のため一部測定不能もあった。)、各家屋ごとに分布図を作成するとともに地下鉄からの距離とこれら傾斜量との関係を明らかにした。
右測定結果をまとめると、次のとおりである。
<1> 床の傾斜
傾斜は本件地下鉄側に向っているものが多く、特に都島駅付近ではその傾向が顕著である。但し、一部の家屋は地下鉄と反対方向に傾斜している。
地下鉄からの距離と傾斜の関係をみると、地下鉄に近い所では地下鉄側に大きく傾斜している傾向にある。右距離が三〇メートル付近では右傾斜が減少する部分が認められる。
<2> 柱の傾斜
柱の傾斜分布をみると、若干のばらつきはあるが、地下鉄側に傾斜しているものが多く、床の傾斜と類似の傾向がみられる。但し、反対方向に傾斜しているところもある。
(2) 測定結果についての考察
地下鉄沿線では大部分の家屋の柱や床は殆どが地下鉄側に傾斜している。しかし、地下鉄工事中又は工事前に建ったビルの影響による不等沈下の場合、又は地下鉄工事現場に不均質土が分布したり、或いはトレンチ側に地盤凝固剤を入れたりした影響による不等沈下の場合には、地下鉄の反対側へ傾斜することもありうる。
(3) 被害の原因
オープンカット工法に付随する地下水排除のための汲み上げ、工事に起因する振動による粘土の擁壁間からの噴出、擁壁間及び底部よりの泥流の浸出、擁壁裏面空洞化、連続土留杭の隙間からの地下水の湧出等によって粘土圧密又は崩落による地盤沈下、及び地表面傾斜、伸張が惹起されることは、経験則上、或いは自然律による因果法則によっても明らかでる。
(4) 結論
軟弱な沖積粘土層で掘削工事を行なう場合、地盤の不等沈下が発生するのは経験則上明らかであるが、都島の本件地下鉄工事区域でも、前記アンケート調査・測定調査結果に後記株式会社合同設計の「都島地下鉄工事関連家屋被害調査研究報告書」(<証拠>)をも併せ考慮すると、本件地下鉄工事と地盤の不等沈下、更に家屋被害との間に因果関係のあることは明らかであるとする。
(六) 調査団鑑定の問題点
右調査団鑑定は、右に述べたとおり、本件地下鉄工事と原告ら主張の家屋被害との間に因果関係を肯認するものであり、事実、本件地下鉄工事が同工事現場付近の地盤の不等沈下、更に進んで右家屋被害発生の一因となった蓋然性の高いことは容易に肯認しうる(被告らもこの点は明らかに争わない)としても、その調査団鑑定の如く家屋被害(傾斜被害)の総てが本件地下鉄工事に起因すると結論付ける点においては、その調査時期(本件地下鉄工事完成の約七年ないし一〇年後)・調査方法及びその調査結果の解析手法(統計的処理方法が合理的根拠と資料に十分裏付けられているとはいえない)並びに経年変化(殆どの家屋が右調査時までには築後二〇余年経過している)その他の原因による傾斜損傷について十分な検討がなされていないこと等からみてにわかに首肯できないので、右調査結果は本件地下鉄工事により本件地盤の不等沈下、更に、それに伴い原告ら所有家屋に損害を惹起した一因となったことを肯認する限度では措信採用しうるとしても、それ以上に右調査団鑑定が結論とする損害発生の程度範囲についてまではにわかに措信できない。
因みに、被告大阪市としても本件地下鉄工事が同工事現場付近の地盤挙動、更にその沿道家屋に何らかの影響を与えたことまでは明らかに争うものではなく、本件地下鉄工事が原告ら所有家屋の被害の総ての原因となったとする点を強く争うものである。
(七) 当裁判所の判断
まず、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らし全証拠を総合点検し、特定事実が特定結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものと解するのが相当である(最二小判昭和五〇・一〇・二四民集二九巻九号一四一七頁参照)。
これを本件についてみるに、原告らは本訴において本件地下鉄工事中及びその後の地盤沈下に起因して家屋が傾斜し損害を受けた旨訴えるものであるが、これまでに認定説示して来たように、本件地下鉄工事付近地盤は軟弱で外力の影響作用で沈下し易い状態にあり、かつ本件地下鉄工事が同軟弱地盤の深部での掘削工事であったところ、本件地下鉄工事の工法は連続土留杭工法を併用したオープンカット工法で施工されたこと、他方、原告ら家屋が本件地下鉄工事現場に極めて近接した位置に存在すること、また原告ら家屋の大半が本件地下鉄工事現場方向に傾斜し、個別にみても同一家屋内でも概ね工事現場側に接近するにつれて被害が多く発生しており、原告ら家屋の被害には共通した現象傾向がみられること、原告ら家屋の右被害の多くが本件地下鉄工事の時期或いはその後に発生していること、本件地下鉄工事現場付近地盤は本件地下鉄工事前にも自然沈下がみられたが、本件地下鉄工事中及びその後は自然沈下量を上回る地盤沈下が生じていること、一般的に近接した場所で開削(オープンカット)工法で地下深くを掘削する工事がなされた場合には連続土留杭工法を併用しても地盤沈下の発生の蓋然性は高く、それに伴い家屋の傾斜被害の発生するおそれがあること、事実同被害は工事現場に近いほど大きくなること、更に右自然沈下量以上の地盤沈下の有力な他原因も窺えないこと等を総合考慮すると、他に特段の事情の窺えない本件においては、本件地下鉄工事は原告ら家屋の地盤沈下、更に同家屋に対して何らかの影響を及ぼしていることは容易に肯認できる。即ち、後述の他原因が原告ら所有家屋の被害損傷の発生拡大に何らかの影響を与えたことは否定できないとしても、右事実を総合すると、本件地下鉄工事が右家屋の被害損傷にある程度の影響を及ぼしたことが経験則に照らし高度の蓋然性をもって肯認されるので、右因果関係の判断基準に照らし右両者間には因果関係が優に肯認できるものといわざるをえない。
もっとも、前記のとおり本件地下鉄工事現場付近一帯の地盤は軟弱であって、付近全域にわたって以前から相当量の地盤沈下がみられ、同時に本件地下鉄工事現場の位置する市道北野・都島線の交通量から考えて、同道路を通行する車両の振動等が程度の差こそあれ原告ら家屋に各種の影響を与えていることは容易に推認され、それらと同時に原告ら家屋の前記損傷については調査時で既に建築後二〇数年の経過年数による変化損傷も無視できないので、原告ら家屋に生じた損害の総てが本件地下鉄工事を原因として発生したものと解することはとうていできない。
第五 本件騒音・振動等の違法性について
一 違法性判断基準
本件地下鉄工事のような地方公共団体が行う公共事業が第三者に対する関係において違法な権利侵害ないし法益侵害となるかどうかを判断するにあたっては、これによって被るとされる被害が社会生活を営む上において受忍すべきものと考えられる程度、すなわちいわゆる受忍限度を超えるものかどうかによって決せられるべく、これを決するについては、侵害行為の態様と侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為の公共性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始とその後の継続経過及び状況、その間にとられた被害防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の事情をも考慮し、これらを総合的に考察して決すべきである(最大判昭和五六・一二・一六民集三五巻一〇号一三六九頁参照)。
以下、このような見地から被告らの侵害行為の違法性の有無(受忍限度を超えているかどうか)について判断すべきところ、侵害行為としての騒音・振動・粉塵等の態様・程度は前記第三で認定説示したとおりなので、その他の諸要素について順次判断するが、特に右被害防止措置の判断に当っては、その前提として被害発生の危険を回避する可能性について、技術的・物理的な面からの考察のほか、財政的・経済的な面及び法律的な面からの考察が必要である。
二 被侵害利益の性質・内容
前記第四で認定説示のとおり、本件慰藉料請求に係る被侵害利益の性質及び内容は、本件地下鉄工事に起因する騒音・振動・粉塵等により、本件地下鉄工事期間中において、原告らは等しく、不快感・迷惑感・いら立ち・腹立ち等精神的苦痛、睡眠妨害や会話・家族団欒等の妨害、テレビ・ラジオ等の聴取妨害その他日常生活の広範な妨害を受けたことを内容とするものである。
とりわけ、本件地下鉄工事が原告ら居住地域の沿道で主として夜間に長期間にわたって施工された点に着目すると、静穏な夜間生活の妨害、就中休息睡眠の妨害を中心とする原告らの精神的身体的苦痛とそれに伴う日常生活への悪影響は看過できないものがある。
なお、本件においては、被侵害利益について、右に述べた以上に、原告らの身体や健康に対する直接の侵害、又はその可能性ないし危険性までは認めることはできない。なお、原告らの中には、本件地下鉄工事の騒音・振動のため睡眠を奪われ、何とか眠ろうとして睡眠薬を常用するうち、摂取量の過剰によって死亡した旨主張し、原告大矢義孝本人は原告木下渡の妻木下そめが右経過を辿って死亡した旨供述するが、同人の死亡と右騒音・振動等との間に相当因果関係を肯認するに足りる証拠はない。
また、原告ら主張の家屋被害に係る被侵害利益の態様・内容は、後記第七で認定説示のとおり、本件地下鉄工事に起因する振動又は地盤沈下等により発生した家屋損傷という財産的損害並びにそれに伴う不安・不快感、更に家屋の構造上又は機能上の損傷支障による日常生活上の不便・支障等主として精神的損害を内容とするものである。
三 侵害行為の公共性
1 地下鉄の公共性
前記第三で認定説示のとおり、昭和三〇年後半に入って、人口の都市集中化が著しく、大阪市近郊のベッドタウン化が急速に進み、それに伴い大阪市周辺の地域から都心部への通勤・通学客の大量かつ安全迅速な輸送が被告大阪市の緊急かつ重要な交通行政上の課題となった。一方、地価の高騰も加わって、右要請に適う都市交通機関としての地下鉄道の必要性とその役割の重要性が急増した。したがって、地下鉄道が重要かつ不可欠の交通機関としての公共性を有することはもとより、地下鉄道の建設工事自体もまた同様に重要かつ不可欠な公共的事業といえる。
2 二号線の必要性と重要性
二号線の建設経緯については前記第三で認定・説示のとおりである。また、右事実と弁論の全趣旨によれば、二号線開通以前には、大阪市の東北部すなわち都島区、城東区、旭区及び守口市方面から都心の梅田方面へ向う交通機関としては、市電・市バス・トロリーバスが運行していたが、それらが運行していた市道梅田・長柄線(宇田から天六まで)、市道北野・都島線(天六から野江まで)、市道桜島・守口線(野江から森小路まで)は、梅田方面と国道一号線とを結ぶ主要幹線道路であり、しかも道路幅員に比して交通量が多いため慢性的な交通渋滞が生じ、所要時間も不確定で一定せず、時には守口・梅田間に約一時間を要したが、二号線の開通により例えば守口・梅田間の所要時間でいえば従来四〇分以上を要したのが約一六分とほぼ三分の一に短縮され、沿線住民にとっては便利になったこと、昭和六二年度の二号線の乗客輸送量は約一四万人に達したことが認められる。したがって、二号線は、沿線住民にとって必要不可欠な交通手段であるばかりか、大阪やその周辺地域の交通や産業経済活動にとっても必要不可欠な交通機関として多大の便益を提供し貢献している。
また、原告ら本件沿道の住民は、本件地下鉄工事によって被った被害はともかくとして、二号線の延伸により利益を享受していることも否定できない。
四 被害回避の可能性及び防止措置
1 オープンカット工法選択の適否
(一) 被告大阪市のオープンカット工法選択の理由
<証拠>によれば次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
地下鉄工事の工法には、一般に主としてオープンカット工法、シールド工法及びケーソン工法の三種類があげられるが、このうちいかなる工法を選択するかは、当該路線予定地の地形、地質、地下埋設物の有無等の施工条件及び地下鉄構造物の状況(線形、駅部配置・線路配置等)並びに当時の技術水準、財政事情等によって決定されるところ、被告大阪市が本件第六工区(ケーソン工法部分を除く)ないし第九工区工事の施工において開削工法(オープンカット工法)を選択採用した理由は以下のとおりである。
即ち、被告大阪市の地下鉄は、軌道法の適用を受けるので、原則として道路下に建設するものであり(軌道法二条)、市道北野・都島線下に建設することは当初から決定されていた。ただ、大川(旧淀川)にかかる部分は都島大橋の橋脚が地中深く存在し、また近くに阪神高速道路の橋脚も存在する関係からその南側を迂回せざるを得ず、両岸で一部民有地を経て再び市道北野・都島線下に戻る経路(半径約三〇〇メートルのカーブ)をとるしかなかったが、右大川にかかる工区は川底で地盤が砂質であったため遮水・揚水が困難であった。このように地下水位が高く、かつ急カーブを描く地形では、シールド工法は適切ではなく、開削工法が適応する。
更に都島駅は当面終着駅として利用する予定であったので、三分間隔で折返し運転を行なう必要上、前渡り線(入線・出発にホームを特定せず、折返し電車の出発後左側の路線に乗換えるための線)を設置し、また、都島以北の開通の際には都島で折返し運転する路線(終点の奥に設ける引込線)を設けて三線部を作る必要があり、これら工事施工の構造上からも、一定の空間しか確保できない本件工区ではシールド工法は施工が不可能である。
(二) シールド工法採用の可否に関する鑑定報告書
大阪工業大学教授工学博士伊東冨雄は、被告大阪市交通局から、「大阪市交通局が、昭和四三年に計画し、実施した大阪市高速電気軌道第二号線東梅田~都島間建設工事のうち、大川横断部~都島駅東三線部間において、当時の技術水準をもって、シールド工法を採用し得たかどうかについて」という本件に関する鑑定事項について(私的)鑑定依頼を受け、同局に対し、昭和六二年四月付けで鑑定結果を「鑑定報告書」(乙第五三号証)として提出している。右鑑定報告書の内容の要旨は以下のとおりである。
(1) シールド工法の概要
(イ) シールド工法の原理
シールド工法とは、トンネル掘削を行なうに当って、トンネル外径より僅かに大きい断面を有する強固な円筒の鋼製殻を地中で推進しながら、その内部で土砂の崩壊を防ぎ安全に掘削作業や覆工作業(セグメント組立て)を行なってトンネルを構築する工法であり、通常圧気工法等の補助工法(シールドが掘進する時、切羽の崩壊を防止し、湧水を阻止するなど地山の安定を図ることにより、工事の安全確保・地盤沈下・周辺施設物の変化防止等のため採用される)を併用して作業が進められる。
(ロ) シールド工法の形式と補助工法の形式
前記のとおり、シールド工法の形式の選定にあたっては、最適のシールド機とこれをフォローする補助工法が不可欠であるので、これらを総合的に判断する必要がある。
<1> シールド工法の形式
シールド工法の形式は、手掘り式と機械掘り式とに大きく分類される。機械掘り式とは、切羽面に密着したカッターヘッド(切削刃つき面板)を回転しながら掘削を連続して行なうもので、これ以外は手掘り式という。
<2> 補助工法の形式
<イ> 圧気工法
圧搾空気を利用して切羽からの湧水の防止、地山の崩壊を防止する目的から採用される。
<ロ> 薬液注入工法
地山及び切羽の安定、又は止水や漏気防止、近接構造物補強のため、対象範囲の地盤に薬液を注入する。
<ハ> 地下水位低下法
地盤の透気性が大きく、施工環境から圧気工法が適用できない場合や、地下水位が高く圧気工法のみでは高圧気となる場合に、地下水を排水して水位を下げるために採用される。工法としては、ディープウェル工法、ウェルポイント工法、パイロットトンネル工法等がある。
<ニ> 凍結工法
この工法は、発信・到達立坑部で薬液注入工法の効果が十分期待できない地盤等で局部的な箇所に施工される工法であって、所定の間隔で地中に凍結管を設置し、対象範囲の土地を一時的に凍結させ地盤の強化を図る。
(ハ) シールド工法計画の諸条件
<1> 曲線半径
トンネルは道路直下に設定するので、道路の線形に左右され、また、大型埋設物を回避するため曲線が生ずる。シールド工法による曲線部の施工は、施工精度の確保などに限界があり、鉄道など大口径シールドでは、最小曲線半径としては、三〇〇メートル程度とされている。
<2> 土被り
シールドトンネルの深さは、地上や地下構造物の状況、地盤条件、掘削断面の大きさ等を考慮し、施工の安全性と周辺の悪影響を与えないために、必要な土被りをとらなければならない。
<3> 勾配
トンネルの勾配は、本来その使用目的に合致するように決められるべきであるが、一般的には、河川、地下構造物、埋設物等の支障物件の制約から決定されることが多い。施工中の湧水や完成後のトンネル内排水を処理するため、少なくとも二ないし五パーミル程度の勾配が必要とされている。
<4> トンネル間隔
地下鉄のようにトンネルが二本並列される場合、トンネル相互の干渉や地盤沈下による地表への影響を防止するため、適当な間隔を設けなければならない。
<5> 施工延長
一般にシールド工法は開削工法に比べて工事費が割高になる。そこで、コストを下げるためには、施工区間をなるべく延長して、単位長さ当たりのシールド工法の償却費を下げることが必要となる。
(ニ) シールド工法施工上の留意点
<1> 地盤沈下
シールド工法を採用する場合にも、地盤の条件にもよるが、地盤沈下を完全に防止することは難しいので、地盤沈下防止対策が必要となる。
<2> 基地の確保
シールド工法による工事の発進基地は、シールドや付属機械及び材料の搬入、土砂の搬出、圧気設備の配置などのために広い面積が必要であり、また、長期間にわたって昼夜兼行で施工されるので、周辺に対する騒音・振動の対策を考慮する必要がある。
<3> 井戸及び漏気対策
砂及び砂礫層で圧気工法を採用する場合、圧気が切羽及びセグメントの継目より地盤の中へ漏れ、特に上部が不透水層で被われている場合は、これに沿って数百メートルにわたって拡散した例もある。したがって、井戸水の汚濁・噴発、酸素欠乏空気の漏洩等の事故を防止するために、周辺の井戸は埋めるか又は漏気防止対策を講じなければならない。一方、地下水位低下工法を用いる場合には、水枯れ事故の防止対策を講じなければならない。
(2) 当時のシールド工法の状況
(イ) 施工状況
我が国でシールド工法が都市トンネルの施工方法として利用され始めたのは、昭和三〇年代後半のことであって、当初は主として上下水道や電力通信施設のための小口径工事に採用され、直径七メートルクラスの大口径鉄道工事では一割程度しか採用されなかった。また、施工実績によると、手掘り式が圧倒的に多く、現在では滞水砂層に適切なシールド工法として採用されている泥水加圧式も、当時は直径三メートル程度の小口径工事に限定されていた。本件地下鉄工事が計画された昭和四三年当時の鉄道シールド工法について見ると、別紙「シールド工法実施例表(その1)」及び「シールド工法実施例表(その2)」のとおり、施工完了或いは着工されていたのは、備考欄に○印を付した三一件で、そのうち手掘り式が二八件で、堅固な地盤で掘削能率向上のために機械掘り式が三件採用されている。また、シールド工法は、当時は切羽の自立性のある良質な地盤工事に採用されることが多かったが、道路交通条件等から軟弱地盤の工事にも採用されたケースもあり、その場合には地盤沈下や、ときには路面の陥没などのトラブルが発生している。
(ロ) 技術的問題点
都市におけるシールド工法による工事では、いかにして地山の安定を図り、工事の安全性を確保し、地表面の沈下等の障害をいかに最小限度に抑えるかが最も重要である。この点に関して当時の主要な問題点を列記すると次のようになる。
<1> 主流であった手掘り式では切羽を部分的に山留めするだけなので、地山は一時的に解放状態となって緩んだ。
<2> セグメント(覆工)はシールド機械の鋼殻内で組立てられるので、掘進により鋼殻の厚さ(六〇ないし七〇センチメートル)だけのテールボイド(空洞)が残るが、同時に充填する方法が無かった。
<3> 大口径シールド工法の施工例が少なかったので、掘進管理の不慣れや測量精度の不良等により蛇行が生じた。
(ハ) 基準等の整備状況
シールド工法の調査、計画、設計及び施工についての基準等としては、昭和四四年一一月に土木学会が制定した「シールド工法指針」が最初であり、それ以前は各事業者の経験と判断に委ねられていた。その後の昭和四八年三月に、運輸省シールド工法技術調査研究会から「都市鉄道トンネル建設工事におけるシールド工法の適応性について」の答申が出されたが、その答申では解決すべき項目として、機械掘り式シールド工法の開発やシールド工法による駅施設の施工等が指摘されていた。
以上により明らかなとおり、本件地下鉄二号線東梅田・都島間の建設計画の時点では、わが国のシールド工法の技術に関する基準等の整備や問題点の解決が未だされていなかった。
(3) 本件現場における施工法の検討
本件大川横断部~都島駅東三線部までの区間において、シールド工法を採用できたかどうかであるが、本件現場における施工法検討の前提として、都島駅西側渡り線部(延長一三〇メートル)及び都島駅東側Y線部(延長一七〇メートル)は、掘削断面幅の関係からシールド工法では施工できないので、大川横断部(延長二七〇メートル)と大川左岸~都島駅間(延長四二〇メートル)の一部にトンネル外径六・八メートルの単線並列型、都島駅部(延長二五〇メートル)には外径八・一メートルの単線並列型、都島駅東三線部(延長三五〇メートル)の一部に外径六・八メートルの単線三本並列型のシールド工法をそれぞれ計画する場合を想定して検討する。また、大川左岸~都島駅間については複線シールド工法についても検討する。なお、シールド推進機は、粘性土や砂質土の地盤を通過するので、シ-ルド工法の形式は、当時のシールド工法技術から考えて、いずれの地盤にも適合する手掘り式シールド工法を採用する場合を想定する。
(イ) 大川横断部
<1> 計画概要
線形は、都島橋及び阪神高速道路守口線の橋脚の関係からシールド工法を採用した場合も、ケーソン工法を採用した場合とほぼ同一の線形となり、阪神高速道路の橋脚間を曲線半径三〇〇メートルで通過することにならざるを得ず、また、トンネル相互間の離隔も、土質・河底下・阪神高速道路守口線の橋脚の位置等の施工条件から約四メートルとならざるを得ない。
また、トンネルの深さについては、河床下土被りとして一・五D(D・トンネル外径)、トンネル勾配は、大川左岸~都島駅間の連続性を考慮すれば、天六方面に向って一〇パーミルの下り勾配となる。
<2> 施工上の問題点
河川直下は沖積層及びシルト層で、かつ滞水砂地盤という厳しい土質条件のもとで、手掘り式シールド工事を行なうことになるので、安全確実な掘削作業を確保するため、シールド前面切羽の崩壊防止及び切羽からの湧水防止に役立つ有効な補助工法の採用が要求される。
圧気工法を採用する場合、地盤・地下水の関係から一平方センチメートル当たり二・〇キログラム程度の高圧気が必要となるが、透気性の極めて高い地盤なので、圧気効果は殆ど期待できない一方で、漏気、噴発のトラブルの発生が予想される。
したがって、圧気工法に加え、地山の強化・止水性の向上・地下水位の低下或いは遮断等を図る他の補助工法(薬液注入工法・地下水位低下工法・凍結工法)の併用が必要となるが、各補助工法とも次のような問題点がある。
<イ> 薬液注入工法の問題点
地盤の間隙に薬液を注入し、地盤強化と止水性の向上を図るが、ボーリングの長さが非常に長いので、削孔精度が低下し、河水の伏流水等により地下水の流動があるため、注入剤が拡散し、地盤を均一に改良することができない、注入の効果や範囲の確認には限度があり、薬液注入工法によってシールドを安全に推進できる保証はない、使用薬液は、注入効果の高い高分子系・尿素系のものを使用すべきであるが、それは河水を汚染させ、シールド掘進時の坑内作業環境を悪化させる、注入費用は約一八億円と巨額になる、などの問題点がある。
<ロ> 地下水位低下工法(パイロットトンネル工法)
本線シールドトンネルの両側下部に外径三メートル程度の小型トンネルをシールド工法によって先行施工し、このパイロットトンネル内よりウェルポイント工法で、地下水位を低下させ、これにより本トンネルの切羽から湧水量を減らして地山を安定させようとするものであるが、この工法は一般的には止水効果が極めて大きいが、本件現場のように河底下で、かつ河底下の土質がすべて透水砂層の場合には、パイロットトンネルの排水量に比べて河川からの供給水量は無限に近いため、この工法で効果をあげるには、河底に粘土等の不透水層を施工する必要があるが、その厚さや範囲については施工実績がないので明確でないうえに、水深が浅くなって舟航に支障を与えることも考えられる、パイロットトンネルは、トンネル内部での作業性から外径三メートル程度の大きさとなり、切羽は滯水砂層でかつ地下水頭は本トンネルの場合よりも高いので、泥水加圧式シールド工法であれば施工は不可能ではないが、技術的にも相当な困難が予想される、などの問題点がある。
<ハ> 凍結工法
一メートル前後の間隔で、地中に凍結管を敷設し、その中に冷凍液(マイナス二〇度Cないしマイナス三〇度C)を送って、周辺の地山をシールドの掘進中一時的に凍結させ、シールド上部と側部に門型の凍土を形成させて、地下水を遮断するものであるが、凍結管の施工方法は、河川内に鋼製棧橋を設置し、棧橋からボーリングマシンにより河床下地盤を削孔の後、凍結管を建て込む、河川の舟航を確保するため、凍結管を曲げて河床に沿わせて配管し、その上に断熱板を設置し、保護コンクリートでカバーするなど、特殊な工事が必要となり、地中では大川の伏流水が生じていると考えられ、確実な凍土形成が困難なことが予想される、河川部であるため、凍結管等の管理は困難であり、仮に継手部に異常が生じても修理は容易にできず、凍結等のトラブルが予想される、トンネル直下は凍結されないので、河川水が側方から底部に廻り込み、湧水を防止できない、凍土の体積膨張、解凍時の収縮により、近接の都島橋や阪神高速道路の基礎に悪影響を与える、凍結区域外のシールド切羽部分も強度が向上し、シールドの掘進が困難となるが、局部的にはともかく、長区間を凍結工法で施工した場合、凍結工法のみで約二〇億円の工事費が必要で、シールド工事費まで含めるとケーソン工法の約二・五倍となる、などの問題点がある。
<3> 結論
大川横断部は、いかなる補助工法を採用しても、手掘り式圧気シールド工法の採用は殆ど不可能と判断される。
(ロ) 大川左岸~都島駅間
<1> 計画概要
大川横断部をケーソン工法で施工すれば、線路中心間隔は五メートルであり、ケーソン部とシールドトンネル部との間に漏斗部が必要となる。この漏斗部の長さは、二本のシールドトンネルを道路敷内に収め、なおかつ、所定の線路条件を満足させるために、延長九〇メートルとなり、この間は開削工法によらざるを得ない。以下単線並列型と複線型各シールド工法の施工上の問題点について検討する。
<2> 単線並列型シールド工法
<イ> 施工上の問題点
地下水位の非常に高い、しかも透水性の大きい滯水砂地盤が主体であり、透気性も大きく、圧気工法を採用すると、カバーロックの粘性土層が切羽上部に存在しても、透気性のよい緩んだ砂層がほぼ水平に広がっているので、圧気が拡散し、周辺の井戸から漏気し、地中に含まれる第一鉄等の還元性物質によって酸素が消費され、酸素欠乏の空気が噴出する恐れもある。したがって、止水効果も含めて、薬液注入工法を併用する必要がある。
シールド掘進に伴う問題としては、切羽における崩壊や地山の呼び込み、シールド推進時の周辺の地山の攪乱による緩み、その他の沈下要因が複合して、地盤沈下を生ずることは避け難い。
以上のような問題点はあるが、技術的には、シールド工法の実施は不可能ではない。しかしながら、都島~守口間延伸工事における一工区のシールド施工延長が約六〇〇メートルないし一〇〇〇メートルであったのに比べて、本区間は二〇〇メートルと極めて短い。しかも、シールド工法では、シールド機械、圧気等の諸設備、更に広い基地は、その施工延長の長短にかかわらず必要なので、このような短区間に採用した場合には、建設費が割高となり、開削工法に比べて約一・八倍となる。更に、本シールド区間に接するケーソン工法や開削工法区間のトンネルが深くなるので、これに伴う工事費も増加する。また、シールド工法を採用したとしても、当時の技術水準をもってしては、地表面の沈下量を開削工法よりも少なくしうるという保証は全くなかった。
<ロ> 結論
大川左岸~都島駅間に単線並列型シールド工法を採用することは、短区間で極めて不経済であり、かつ、技術者の良識に反する選択であって、妥当なものとはいえない。
<3> 複線型シールド工法
<イ> 施工上の問題点
複線型シールド工法は、大断面で、渡り線にも適用でき、大川左岸から渡り線部を含めて、都島駅西漏斗部西端までの延長三五〇メートル間に計画することが可能である。したがって、単線並列型シールド工法の場合よりも区間を長くすることができる。
しかし、トンネルは大断面(外径一〇・一メートル)となるため、その深さが非常に大となり、これと接続する大川横断部、都島駅とも深層化し、単線並列型シールド工法と比較して、施工性、経済性、駅の利便性などがすべて悪化する。
施工技術的には、施工性、安全性等の面で、切羽面積の小さい単線並列型シールド工法よりも格段に不利となり、地盤安定処理工法の高度化と大規模化は避け難く、特に地下水の豊富に滯水する崩壊性の高い砂地盤のため、圧気工法に起因する漏気、噴発、酸欠などの問題、シールド掘進に起因する地盤沈下等の増大等単線並列型シールド工法をはるかに上回る重大問題の発生が予想される。
<ロ> 結論
大川左岸~都島駅間に複線型シールド工法を採用することは、施工の技術性、経済性、駅の利便性などの面からみて、妥当なものとはいえない。
(ハ) 都島駅
<1> 計画概要
単線型シールドを並列施工し、シールドトンネル相互を切り拡げ接続することによって、中央部に島式ホームを設けるのが妥当な方法である。そして、駅施設は、シールドトンネルの上部に構築する中階部に配置するが、駅への出入口、折り返し駅としての諸施設を収容するためには、連続した中階部が必要となり、この部分は別途開削工法で施工せざるを得ないことになる。
<2> 施工上の問題点
この区間は、大川左岸~都島駅間と地理的条件、土質条件が類似するため、単線並列型シールド工法を採用し、圧気工法、薬液注入工法を採用する手掘り式シールド工法によることになるが、トンネル外径が八・一メートルと都島駅以外の一般部の外径六・八メートルより大きく、掘削面積では約一・四倍に増大するため、一般部に比べて切羽保持の困難性がより高まり、圧気工法、薬液注入工法を併用することによる弊害もはるかに大きくなることが予想される。
また、シールドセグメントの側部を長区間にわたって撤去しての切り拡げとなるが、地盤が軟弱なのでトンネル自体が不安定な状態となる、地下水位の高い砂地盤の掘削であり、薬液注入工法による止水対策を行なっても十分な止水は困難である、掘削中に多量の湧水が生じた場合、湧水に伴う砂の流出から地山崩壊の発生も予想される。
<3> 結論
都島駅にシールド工法を採用する場合、シールド工法による施工そのものが困難であり、更に切り拡げ接続の工事も安全に施工できない。また、沿道への障害が多くでること、工事費が開削工法に比べて約三・六倍と高くつくこと、プラットホーム面が一九メートル(現在駅では一三メートル)と深くなり、利便が悪くなることなど、開削工法に比べて、総ての面においてはるかに劣っている。
(ニ) 都島駅東三線部
<1> 計画概要
Y線部東端から東三線部までの延長一八〇メートルの区間に三本の単線並列型シールドを計画する。
<2> 施工上の問題点
間隔の小さい三本並列型トンネルは類例をみないし、トンネルの相互干渉についての解明も行なわれていない。また、安全施工、地盤沈下等に対する不安が大きい、地盤沈下については二本並列型シールド工法よりも沈下量が大きく、かつ影響が広範囲に及ぶ、立坑の約三分の一は民地下となり、立坑付近に工事基地(約四〇〇〇平方メートル)が必要であるが、適地がないため用地確保問題が生ずる、開削工法のY線部は、三本並列型シールドと接続するために、線路中心間隔が二〇・四メートル(現在は約一〇メートル)と広くなり、また、所定の線路条件を満たすために更に一七〇メートル(現在六〇メートル)延長されるので、施工性、経済性に及ぼす影響が大きい、Y線部の躯体は、道路敷に収るが、土留工事のため、両側の民地を右延長一七〇メートルにわたりそれぞれ約二・〇メートル占用することになり一時立退が必要である、などの問題がある。
<3> 結論
三本単線並列型シールド工法は、実績がなく、トンネルの相互干渉等の土木工学的問題が解明されておらず、また、経済性、用地上その他種々の問題点を有するので、都島駅東三線部への採用は不可能である。
(三) 原告らの泥水加圧式シールド工法に関する主張について
原告らは、大川部のようなところでは泥水加圧式シールド工法が開発されており、鉄道についても本件地下鉄工事着工前の昭和四四年三月着工の京葉線水底部羽田トンネル(東京)では既に実施されていたので、本件でも泥水加圧式シールド工法が実施できなかったはずはない旨主張する。
しかしながら、<証拠>によれば、前記伊藤冨雄教授は、<1>泥水加圧式シールド工法の最初の実施例は、昭和四二年の荒川左岸流域下水道鴨川幹線一一号工事(シールド機外径三〇二〇ミリメートル)であって、当時は実用化されて日が浅く、施工例も数例で、技術的にはまだ試行錯誤の状態にあったと考えられる、<2>本件で採用すべきシールドは、外径六八〇〇ミリメートル(セグメント外径)で、前記施工例(シールド機外径三〇二〇ミリメートルが最大)に比べ、五倍以上も掘削断面積が大きく、予想外の重大なトラブル発生の危険が十分予測される、<3>日本鉄道建設公団京葉線水底部羽田トンネル工事の森ケ崎運河付近にて、当時大断面(シールド外径七二九〇ミリメートル)の泥水加圧式シールド工法が計画されていたが、まだシールド掘進時期に至っておらず、工法採用の材料とするのは困難であったと考えられる。事実このシールドトンネル工事では組み上がったセグメントが最大五七センチメートル浮き上がった、海底陥没、異常出水によりシールド機の下半分が浸水、掘削不能など多数のトラブルが生じており、当時このような大断面の泥水加圧式シールド工法が技術的にいまだ未完成であったことが立証されている、<4>京葉線でのシールド工法採用の大きな理由は、羽田空港の滑走路の前面に位置し、運河上に大型機械の必要なケーソン工法または沈埋式工法が採用できず、シールド工法を採用する外はなかった、<5>京葉線での立地条件(曲線半径、土質と地下水、シールド工事基地等)は、本件地下鉄工事区間に比べて良好であった(甲第七六号証)等の理由で「当時の泥水加圧式シールド工法の施工技術では、大川横断部への採用はもとより、本件地下鉄工事の他区間においても採用がほとんど不可能であったと考えられる。」と結論づけている。
(四) 当裁判所の判断
地下鉄建設に当っていかなる工法を選択実施するかは、前述のとおり、当該路線予定地の地形、地質、地下埋設物の有無等の施工条件及び地下鉄構造物の状況(線形、駅部配置、線路配置等)並びに当時の技術水準と財政的事情等によって合理的に決定されるべきものであり、また、被害防止措置の判断においても、その当時の技術的・物理的な側面からの考察のほか、財政的・経済的な側面及び法律的な側面からの考察が必要であり、こうした諸観点からすると、前記伊藤冨雄教授作成の鑑定報告書は、その根拠及び推論過程において、特に不当な見解として排斥すべき事情もみられず、十分首肯することができる(原告らも右見解に対し首肯しうる反論反証はしていない)。
なお、原告らは、前記のほかに縷々述べて、仮に大川横断部をケーソン工法で施工したとしても、その余についてはシールド工法で施工することもできた旨主張するが、いずれも前記工法選択の諸条件に照らし、とりわけ立地条件、技術面及び採算面での具体的かつ合理的な論証を欠き採用できない。
したがって、他に特段の事情の認められない本件においては、被告大阪市の工法の選択採用自体について、これが右諸条件下に合理的な裁量権の範囲を逸脱した違法なものと解することはできない。
1 夜間工事
(一) 夜間工事に至る経緯
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(1) 市道北野・都島線の交通量
前記認定説示のとおり、本件地下鉄工事は市道北野・都島線の道路敷下で施工されたのであるが、同市道北野・都島線は、大阪府警察本部作成の昭和四四年六月一二日交差点調査に係る交通量統計表によれば、右工事現場内である同線都島本通交差点における方向別車種別自動車交通量総合計は昼間で五万八九二六台、夜間でも二万二〇四一台という幹線道路である。
(2) 警察の基本方針
本件地下鉄工事着工から竣工までの間、道路占用許可権をもつ所轄警察署は、昼間工事によって交通遮断することは交通行政上多大の支障を生ずることを理由に、建設業者に対して夜間工事を行なうように行政指導していた。そのため、昭和四七年当時の大阪府警察本部許可に係る大規模工事の割合は昼間約三〇パーセント、夜間約七〇パーセントと夜間工事の比率がかなり高かった。因みに、東京で警視庁交通部が、「安眠できる都市づくり」のキャンペーンの第一弾として夜間の道路工事等を全面的に禁止し昼間工事に切り替えるよう建設業者への指導方針を固めたので、大阪府もこの方針の検討を開始したのは昭和四七年六月のことである。
(3) 道路占用許可
こうした夜間工事という基本方針に基づき、本件地下鉄工事期間中は、所轄警察署による道路占用許可は、午後八時から翌日午前七時までに限定され、その方針の変更はなかった。
(二) 夜間工事の実態
以上の結果、被告大阪市としては、夜間工事もやむをえないものとして、被告大阪市交通局高速鉄道建設本部建設部土木課作成の地下工事標準仕様書(乙第三号証)第一九条(夜間作業)においても、「土木工事区域は都心部で且つ交通量が大であるので夜間作業となる場合が多いが甲(建設事務所長)の指示に従い昼夜の別なく作業を行なうよう留意せねばならない。」と規定し、施工業者に対して夜間工事の周知徹底をはかった。
ところで、こうした夜間工事の実態については残存する資料が乏しく、ごく限られた資料から推測するほかないが、<証拠>を総合すれば、各工区別に昼間工事と夜間工事の(延べ実)作業日数をまとめると、以下のとおりとなることが認められ、この認定に反する証拠はない。
(1) 第六工区
昼間工事 一四三日
夜間工事 八七日
(2) 第七工区
一ブロック
昼間工事 一二八日
夜間工事 七五日
一〇ブロック
昼間工事 一二七日
夜間工事 一〇一日
(3) 第八工区
七ブロック(交差点部)
昼間工事 一三一日
夜間工事 二〇七日
一一ブロック(一般部)
昼間工事 一八五日
夜間工事 二四四日
(4) 第九工区
一一ブロック
昼間工事 二四四日
夜間工事 一七二日
四ブロック
昼間工事 二一二日
夜間工事 一五五日
(三) 夜間作業時間の短縮等への努力
ところで、<証拠>によると、被告大阪市としても、沿道住民に及ぼす迷惑、工事に伴う危険性の増大、作業能率の低下、人件費の増大等を理由に再三にわたり警察当局に対し夜間工事から昼間工事への変更を要請したが、許可されなかったことが認められる。
しかし、被告大阪市は、後記認定説示のとおり、沿道住民の苦情が出た後は、その要望に答え、一部の地域では道路の舗装割の作業を昼間実施し、或いは午後一〇時からの作業を午後八時に繰上げ、作業時間そのものの短縮についても、一部では道路舗装割作業は原則として午前零時まで(交差点部は除く。)とし、バイブロハンマーの使用は午前二時まで、バックホーショベルの使用は午前一時までと指示して、騒音・振動の防止軽減対策がとられた。
(四) 原告らの主張について
原告らは、後記工事説明会において、被告らが夜間工事によっても被害は発生しない旨虚偽の説明をしたというが、むしろ、後記認定説示のとおり、被告大阪市は右説明会において夜間工事による被害発生の可能性を想定して沿道住民に対し種々の対策を説明しているのである。
また、既に昭和三九年六月二二日著名な東京地下鉄工事事件に関し東京地方裁判所で判決言渡しがあったが、同事件では工事現場と被害家屋は二〇ないし三〇〇メートルも離れていたのに地下鉄夜間工事が不法行為を構成する可能性が指摘されたのであるから、本件地下鉄工事がいわば被告ら居住家屋の軒下で施工されることも併せ考えれば、被告らとしても夜間工事による沿道家屋の被害につき予め十分な調査を尽くし被害防止対策を講ずる義務があるのに、これを尽くした形跡がない旨主張する。
しかしながら、本件地下鉄工事の設計施工に当って、環境影響予測の調査を行なうことが法律上義務づけられていないので、右調査をしなかったことから直ちに本件夜間工事を違法とすることはできない。
更に原告らは、その他縷々述べて事前に迂回路を作るべきであった、昼間に一部(例えば片側)道路交通を制限して工事を行ない夜間工事を取止め、被害の発生を防止することが可能であったなど主張するが、その実現可能な具体的方策も明らかにされていない。
(五) まとめ
以上の諸点を総合考慮すると、本件夜間工事自体は警察の前記基本方針を前提とする限りやむをえないものといわざるを得ず、また、被告らの作業時間の変更短縮の点、更に、騒音振動軽減のための対策も、被告らの被害軽減のための努力として一応評価できる。
3 被害防止措置
(一) 騒音・振動対策
前記第三の一3掲記の関係各証拠に加えて、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
地下鉄工事による騒音・振動等の対策としては、騒音・振動等の少ない施工法の採用実施、発生源に対して防騒音・防振動装置の取り付け等発生源対策、その伝播防止対策、作業時間を昼間等比較的影響の少ない時間帯に変更、作業時間自体の短縮その他の対策が考えられるが、いずれも当時の技術・財政・社会環境の下では自ずから限度があることは否定できない。本件における右対策の実施状況をみると以下のとおりである。
(1) 発生源対策
前記第三で認定説示のとおり、発生源対策として次のような措置が講じられた。
<1> アースオーガーの採用による鋼杭建込みと鋼杭抜きの廃止
本件地下鉄工事では、全工区にわたりアースオーガーによる鋼杭の削孔建込工法を採用し、また埋戻しに当って、引抜きによる騒音を生じないように、鋼杭は地面から約二メートル一〇センチ下がりのところをガス切断して撤去する工法が用いられた。しかし、アースオーガーを使用しても、最終の打止時にはバイブロハンマーを使い大きな騒音を発生する場合もあり得るので、バイブロハンマーを使うにしても出来るだけ短時間で終了するように施工管理するとともに、土留杭の先端部の予掘を行なう、バイブロハンマーの使用が長時間になる場合は削孔のやり直しをするなどの方法が併用された。
<2> 低音コンプレッサーの使用
道路舗装割等に使用されるコンプレッサーは、原則として電動式の低騒音のものを用い、ディーゼル式の場合も、最新式の防音型のものが用いられ、消音マフラーも使用された。しかし当時としては、エンジン自体の発生する騒音を低減させる方法はまだ開発されていなかった。
<3> 遮音壁・遮音衝立の使用
沿道住民からの騒音・振動に対する苦情が続出するようになってからは、道路舗装割等の騒音の激しい工事を行なう場合には、一部で周辺を遮音壁で囲んで作業が行なわれた。遮音壁は初期には工事用柵にラバーホームや発泡スチロールを取り付けたものが用いられたが、遮音効果・耐久性等の点で問題があったため、工事が本格的になった時点で、新幹線や高速道路等で使用されている吸音型の防音パネル(二〇〇×一〇〇×一五cm)が使用された。遮音壁には、衝立型のものと箱型のものとがあるが、衝立型のものは運搬に便利であるが、多少隙間を生ずる欠点があり、箱型では、例えばコンクリート破砕のような作業の場合内部に粉塵が発生し労働者の環境条件が著しく悪化した。この遮音壁を使用してコンクリート割をした際の測定結果によれば、五ないし三〇メートルの地点で一〇ホンの騒音低下がみられた。しかし、当時としては、こうした遮音壁・遮音衝立も、材質・構造等の面で模索・試験的段階であった。
<4> 削岩機の消音装置
削岩機にマフラを取り付け騒音の軽減がはかられた。しかし、作業能率の低下が大きく、冬期には凍結する欠点があるので、遮音壁の設置が十分できない場合などに用いられた。
但し、以上の対策が全工区・全工事期間において実施されたかどうかは本件全証拠によっても明らかでない。
(2) その他の対策
沿道住民の要望に応じ、一部の地域では道路の舗装割の作業を昼間実施し、或いは二二時からの作業を二〇時に繰上げ、作業時間そのものの短縮についても、一部では道路舗装割作業は原則として午前零時まで(交差点部は除く。)とし、バイブロハンマーの使用は二時まで、バックホーショベルの使用は一時までとするなど、その後は騒音・振動の被害軽減対策がとられた。
また、粉塵の被害防止又は軽減のために、工事前後の水撤き、清掃など粉塵被害の軽減に努めた。
(3) まとめ
一般に建設工事に伴う騒音・振動については、音源・振動源対策の実施可能性、その技術的困難性、経済性等に鑑み、いわゆる発生源対策、伝播防止対策のみでは抜本的な解決は不可能である。また、建設工事騒音・振動はしばしば不快なものとして受け止められるが、工事過程の進行完成に伴い騒音・振動自体の発生が止むため、生命身体に対する重大な結果を発生させることも少なく、工場・道路・航空機・新幹線等によるいわば恒常的な騒音・振動と比較しても実効性のある対策の実施を困難にしている。しかし、本件地下鉄工事には当初から長期の工事期間が予想され、右工事に伴って発生する騒音・振動も恒常的な騒音・振動に類似するものになることもある。したがって、本件地下鉄工事のような長期間かつ大規模な建設工事の工事請負業者及び注文者としては、その施工に際しては、一般の建設工事のそれにも増して単なる物理的な発生源対策・伝播防止対策の実施のみでは足りず、工事計画の段階から騒音・振動による周辺環境への影響度を十分予測調査し前記諸制約の下で可能な限りの対策措置を講ずるるとともに、その工事内容とその必要性並びに被害発生の場合の対策措置等を地元住民に十分説明し、住民の真の理解と協力を得るように努めるべきである。
また、右対策措置にもかかわらず工事中に沿道住民から被害の苦情が出た場合には被害状況を調査し、それに対する適切な対策措置を講じたうえ、その効果を調査確認し、それが不十分な場合には更に可能な対策措置を検討実施すべきであるのに、後述のとおり、被告らの採った右防騒音・防振動措置が十分な効果をあげえたかについての調査確認の資料もなく、被告らが右のような状況下において一時移転先を提供したとしても、被告らにおいて右適切な折衝・対策措置を講じたものとまではいえない。
(二) 地盤沈下対策
前記第三の一3掲記の関係各証拠を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
本件地盤のような軟弱地盤で開削工法(オープンカット工法)により地下鉄工事を施工する場合、一番問題となるのは土の脱水圧密現象(掘削による地下水位の低下により土の密度が増加し周辺地盤に影響を与える現象)である。これに対処するためには、結局は地下水の流出を最大限防止するしかなく、技術上の最大の課題として、土留壁の剛性・連続性及び支保工の段数増加が問題となる。これらの点を踏まえて、本件地下鉄工事においては、第六ないし第九工区を通じて地盤沈下対策として以下の対策が講じられた。
(1) 柱列式連続土留杭工法の採用
従来の鋼杭横矢板工法は沖積層でも浅いところや粘土層の少ないところでは施工可能であるが、本件地盤のような深部でしかも粘土層も多いところでは問題がある。そこで、土留の連続壁の遮水性や剛性を増し圧密沈下を最小限にするためにも、本件では柱列式連続土留杭工法が採用された。この柱列式連続土留杭工法は一メートル五〇センチメートル間隔に鋼杭を建て込み、この一メートル五〇センチメートル間隔の間に更に三本のモルタル杭を造成して、モルタル杭の接続性を増加させるためにその前面にセミソイルセメントを充填して土留板をかけながら掘削していくという工法である。この工法には、設置場所の奥行等の関係で別紙「地下鉄工事の土留工法一覧表」記載のとおり一型ないし四型の四種類があり、このうち一型もしくは二型が標準とされ、本件地下鉄工事においても主に二型が採用された。但し、この柱列式連続土留杭工法によっても、水圧が高い場合はモルタル杭間の夾雑物を吹き飛ばす場合もあり、モルタル杭の垂直方向の施工誤差もあるため完全な遮水を期待するのは困難である。また、鋼杭横矢板工法で施工した場合、工事過程のサイクルから二日間の連続施工という制約があるために昼間も道路を占用することになり、特に交差点部分でこれを施工すると交通を完全に遮断することになる。そうした理由から都市部における地下鉄工事の工法として鋼杭横矢板工法を採用することは実際上困難となっている(因みに、本件では第六工区で使用された)。したがって、本件においても、周辺地盤への影響の問題と同時にこうした道路交通への影響の問題が、柱列式連続土留杭工法採用の大きな理由になっているものといえる。
(2) 薬液注入
重量のある建物が荷重されると、杭基礎等堅固な基礎のない場合、上の荷重により圧密沈下を生じる場合がある。したがって、こうした建物の前面で工事をする場合には事前に薬液注入等によって遮水性の確保と地盤の強化をはかる必要がある。具体的には、本件地下鉄工事においては基礎のない鉄筋もしくは鉄骨三階建以上の建物について、ボーリングをして直径五、六センチメートルの穴を開けパイプを入れて地盤強化薬(水ガラスとセメントを混合したもの)を注入した。そして、地盤の強化改良をはかり、背面地盤の土圧により土留面が掘削中心に傾くことの防止措置をとった。
(3) 支保工の段数の増加
沖積層のような軟弱な地盤の場合、洪積層のような硬い地盤と比較して二ないし三倍もの水平方向の土圧がかかることになり、連続土留杭にかかる圧力も増えるため土留連続杭の剛性(抵抗力)を増す必要がある。そこで、本件では、これに対処するため土留杭と土留杭の間にかけられ、これを突っ張る支保工の段数を通常の三ないし四段で処理する場合よりも増やし五ないし六段として連続性と剛性を増し、更に、総ての切梁にジャッキ・アップして切梁と土留杭との間の遊びをなくすようにした。また、被告松村組は掘削面を三角形にした掘削をした。
なお、被告ら建設会社が連続土留杭の遮水性を確保するために他にどのような対策を実施しどの程度の効果があったかについては、本件証拠上明らかにされていない。
(4) また、計測管理、即ち、本件地下鉄工事の施工に当たっては、切梁の軸力を測定して土留杭、支保工の安全管理を行ない、また、水位地表面沈下を測定して土留背面の沈下状況を確認した。しかし、それ以上に原告ら主張のような各種計測管理をしたか否かは明らかでない。
(5) 被告らが柱列式連続土留杭工法を採用した背景には、当時の道路交通事情が多分に影響しており、また、その前提である開削工法(オープンカット工法)を採用した理由についても、周辺地盤への影響を考慮したことによるものである。しかし、被告らが現実に採用施工した柱列式連続土留杭工法にはその地盤の軟弱性との関係においてなお十分なものであったか疑わしいので、被告らにおいて地盤沈下被害の発生を回避し或いはこれを軽減する可能性が残されていたものといわざるをえない。
(6) まとめ
以上を前記違法性の判断基準に照らしてみれば、被告らが本件地下鉄工事につき開削工法と柱列式連続土留杭工法をそれぞれ採用実施した背景事情には、本件工区周辺への影響及び当時の道路交通事情を配慮したことにもよるが、被告らが現実に採用実施した右工法にもかかわらず、前記認定説示のとおり、本件地下鉄工事現場付近の地盤が不等圧密沈下し、原告ら所有家屋に損害が発生したことは否定できないので、効果面からみれば、その地盤の軟弱性との相関々係において右工法及び被害防止対策措置がなお十分なものでなかったと解される。
五 行政等指針・規制基準
騒音・振動等の許容基準に関する行政等の指導・規制基準は次のとおりである。
1 公害対策基本法上の環境基準
公害対策基本法九条一項に基づき、政府は、昭和四六年五月二五日騒音に係る環境基準を定めた。
これによると、A地域(主として住居の用に供される地域)については昼間五〇ホン以下、朝夕四五ホン以下、夜間四〇ホン以下(道路に面する地域(道路に面し建物から道路側一メートルの地点)では昼間五五または六〇ホン以下、朝夕五〇または五五ホン以下、夜間四五または五〇ホン以下)、B地域(相当数の住居と併せて商業、工業等の用に供される地域)では昼間六〇ホン以下、朝夕五五ホン以下、夜間五〇ホン以下(道路に面する地域では昼間六五ホン以下、朝夕六〇または六五ホン以下、夜間五五または六〇ホン以下)と定められている。
なお、本件沿道は、弁論の全趣旨によりB地域のうち二車線を超える車線を有する道路に面する地域とみられる。
2 騒音規制法上の規制基準
騒音規制法は、工場、事業場における事業活動や建設工事に伴って発生する騒音を規制すると共に、自動車騒音に係る許容限度を定めたものであり(一条)、同法一四条一項及び一五条一項に基づく特定建設作業に伴って発生する騒音の規制に関する基準としては、作業内容により、特定建設作業の場所の敷地境界線から三〇メートルの地点における作業に応じて七五ないし八五ホン以上の騒音を規制の対象としている(昭和四三年一一月二七日厚生省・建設省告示第一号「特定建設作業に伴って発生する騒音の規制に関する基準」)。
なお、同法四条一項、二項に基づき定められた特定工場等において発生する騒音の規制に関する基準(昭和四三年一一月二七日厚生省・農林省・通商産業省・運輸省告示一号)によれば、第二種区域(住居の用に供されているため、静穏の保持を必要とする区域)については昼間五〇ホン以上六〇ホン以下、朝夕四五ホン以上五〇ホン以下、夜間四〇ホン以上五〇ホン以下、第三種区域(住居の用にあわせて商業、工業の用に供されている区域であって、その区域内の住民の生活環境を保全するため、騒音の発生を防止する必要がある区域)については昼間六〇ホン以上六五ホン以下、朝夕五五ホン以上六五ホン以下、夜間五〇ホン以上五五ホン以下(ただし、学校、保育所、病院等の周辺にあっては都道府県知事が定める値以下、当該値から五ホンを減じた値以上)と定められており、大阪府においては、昭和四六年一二月二四日大阪府告示一八一四号、一八一五号で、規制地域の指定と規制基準の設定がなされている。
更に、同法一七条一項に基づく指定区域内における自動車騒音の限度を定める命令(昭和四六年六月二三日総理府・厚生省令三号)によると、第二種区域については車線数に応じて昼間六〇ないし七五ホン、朝夕五五ないし七〇ホン、夜間五〇ないし六〇ホン、第三種区域については車線数に応じて昼間七〇ないし八〇ホン、朝夕六五ないし七五ホン、夜間六〇ないし六五ホンと定められ、右区域及び時間の区分については、大阪府においては昭和四七年一〇月二日大阪府告示一九三号によって定められている。
3 大阪府公害防止条例の規制基準
同条例によれば、特定建設作業の騒音が、特定作業場所の敷地境界線から八〇メートルの地点において、例えば、杭打機は八五ホン(但し、杭打機をアースオーガーと併用する作業を除く。)、削岩機及びコンクリートカッターは、それぞれ七五ホンと定められている。
なお、同条例二条一項に基づく工場に関する騒音の規制基準を定めた同条例施行規則七条(別表七)によると、第二種区域(一般の住居地域等)については昼間六〇ホン、朝夕五〇ホン、夜間四五ホン、第三種区域(商業、準工業地域等)については昼間六五ホン、朝夕六〇ホン、夜間五五ホンとされており、また同条例五四条一項に基づく道路交通法による措置要請をする場合の自動車騒音の限度を定めた同条例施行規則二三条二号(別表第一四)によると、第二種区域については車線数に応じて昼間六〇ないし七五ホン、朝夕五五ないし七〇ホン、夜間五〇ないし六〇ホン、第三種区域については車線数に応じて昼間七〇ないし八〇ホン、朝夕六五ないし七五ホン、夜間六〇ないし六五ホンとされている。
4 振動規制法における規制基準
振動規制法によると、都道府県知事は、住居が集合している地域、病院又は学校の周辺の地域その他の地域で振動を防止することにより住民の生活環境を保全する必要があると認めるものを指定しなければならない(三条一項)が、右地域指定をするときは、環境庁長官が定める基準の範囲内において、規制基準を定めなければならない(四条一項)としている。他方環境庁長官は、「特定工場等において発生する振動の規制に関する基準(昭和五一年一一月一〇日環境庁告示第九〇号)」を定め、同年一二月一日から適用することとしているが、これによれば、同法四条一項に規定する基準は、次のとおりとする。但し、学校、病院等の周辺の道路における限度は同表に定める値以下、当該値から五デシベルを減じた値以上とすることができるとしている。
第一種区域(一般の住居地域等)昼間六〇デシベル以上六五デシベル以下夜間五五デシベル以上六〇デシベル以下
第二種区域(商業、準工業地域等)昼間六五デシベル以上七〇デシベル以下夜間六〇デシベル以上六五デシベル以下
更に、特定建設作業に関する規制としては、同法二条三項でこの法律において「特定建設作業」とは、建設工事として行われる作業のうち、著しい振動を発生する作業であって、政令で定めるものをいうとされ、振動規制法施行規則(昭和五一年一一月一〇日総理府令第五八号)二条は同法第二条三項の政令で定める作業は、別表第二に掲げる作業とする。ただし、当該作業がその作業を開始した日に終わるものを除くとしているが、右別表第二の内容は以下のとおりである。
一 杭打機(もんけん及び圧入式杭打機を除く。)、杭抜機(油圧式抜機を除く。)又は杭打杭抜機(圧入式杭打杭抜機を除く。)を使用する作業
二 鋼球を使用して建築物その他の工作物を破壊する作業
三 舗装板破砕機を使用する作業(作業地点が連続的に移動する作業にあっては、一日における当該作業に係る二地点間の最大距離が五〇メートルを超えない作業に限る。)
四 ブレーカー(手持式のものを除く。)を使用する作業(作業地点が連続的に移動する作業にあっては、一日における当該作業に係る二地点間の最大距離が五〇メートルを超えない作業に限る。)
なお、特定建設作業に関する規制として、都道府県知事は、特定地域内において特定建設作業に伴って発生する振動が総理府令で定める基準に適合しないことによりその特定建設作業の場所の周辺の生活環境が著しく損われると認めるときは施工者に対し改善勧告及び改善命令を行うことができる(同法一五条一、二項)とし、振動規制法施行規則一一条は、右基準を定めているが、そのうち、振動の大きさに関しては、特定建設作業の振動が、特定建設作業の場所の敷地の境界線において、七五デシベルを超える大きさのものでないこととしている。
因みに、甲第三五号証によれば、本件地下鉄工事において、騒音規制法による特定建設作業の対象となる建設機械は、コンクリートブレーカー、ジャックハンマー、チッパーであり、大阪府公害防止条例による特定建設作業の対象となる建設機械は、バックホーショベル、クラムシェル、ブルドーザーであることが認められる。
5 まとめ
以上によれば、前記各行政指針及び法律上の規制(基準)は、受忍義務の限度を画する加害許容基準を示すものではないが、その本質及び設定手続に照すと、それは私法上の受忍限度の判断と軌を一にするものがあるうえ、その基準自体、一応根拠のある科学的調査・研究結果に基づき、また各種の利益を調整し、かつ、現実的・政策的考慮をも加味して策定された望ましい具体的目標値であるから、それは受忍義務の判断においても重要な判断基準として斟酌考慮されなければならない。
因みに、夜間休息安眠の確保と身体的悪影響の防止等からみて、夜間室内における本件地下鉄工事騒音の受忍限界値が五〇ないし五五ホン、振動の受忍限界値が七〇ないし七五デシベル程度と解すべきことは、前記第四で説示したとおりである。
そこで、本件地下鉄工事の騒音振動を前記各行政指針及び法律規制(基準)の達成度合との関係で検討するに、騒音振動の発生源からみて、一般的には、建設工事騒音についての前記「特定建設作業に伴って発生する騒音の規制に関する基準」が一応判断基準として考慮されるべきものと解されるところ、本件地下鉄工事期間中の前記認定説示の騒音程度は、被告ら主張のとおり、ほぼ右基準内のものといえる。
しかし一方、前記認定説示のとおり、本件地下鉄工事の規模、工法と施工機械、同機械による騒音・振動の程度・内容、その時間帯、工事期間等その態様に照らすと、本件地下鉄工事に伴う騒音は、建設工事騒音であっても一時的なものではなく、また被害の交換性もなく、むしろ工場騒音等の恒常的騒音と同視できるので、前記騒音規制法四条一項、二項に基づき定められた特定工場等において発生する騒音規制基準に基づき判断すると、本件騒音の程度は右基準を超えているものといわざるをえない。また、一般の住居環境について定められた公害対策基本法に基づく騒音規制基準によると、本件騒音の程度はこれをはるかに超えるものである。
してみると、被告らが本件地下鉄工事に伴って発生させた前記騒音侵害の程度は、受忍限度内か否かはさて措き、前記各行政指針及び法律上の規制基準との関係では、同基準を超えた違法なものがあるといわざるを得ない。また、本件地下鉄工事に伴う振動についても同様に右行政指針・基準を超えた違法なものがあるといわざるをえない。
六 当事者の折衝の経過
1 事前調査
<証拠>によれば、被告大阪市は、本件地下鉄工事着工前に、被告大阪市交通局庶務課調査係の事務担当と建築担当の各職員一名、被告ら工事請負業者の建設事務所の渉外主任と建築担当職員各一名の計四名に補助者を付けて、本件沿道の各両側南北幅三〇メートルの範囲の各家屋の事前調査をしたこと、そこでの調査内容の項目は、家屋の基礎の状況、外装・内装関係、家屋内部の柱の傾斜・壁の状態等であり、これらの項目について写真撮影・図面作成等を実施し報告書(「高速鉄道建設工事着手以前の沿道建物に関する調査報告」と題する書面で被告ら工事請負業者が証拠(右各号証)としてそれぞれ提出している。)にしたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
しかしながら、本件で被告建設会社らから証拠として提出されている右各調査報告を通覧すると、前記認定説示のとおり、極めて不十分な内容となっており、このことが同時に本件家屋被害の真相を究明するうえで大きな障害となっている。
2 工事説明会等
被告大阪市が、本件地下鉄工事着工に先立ち、昭和四四年八月二七日、都島小学校講堂において、第七ないし第九工区の沿道住民に対し、工事説明会を開催したこと、第六工区の住民に対しては、戸別訪問の方法により工事の説明をしたことは、前記認定説示のとおりであり、<証拠>を総合すれば、この工事説明会には、沿道住民三三〇世帯のうち一七八世帯(約五四パーセント)が参加し、原告ら四〇世帯のうちでは、下中地藏重太郎、山内茂、杉江直巳、カレー屋食堂こと磯邊正雄、伊藤清恒、服部禧久雄、平林敏子、牧志正、北田清、生山靖博、植松時雄、澤義雄、若林石太、室田勤、西田陽彦、浦木國江、山城亀徳、北本良三、水田一郎、新宅亀太郎、木下渡、宮下弘の二二名が出席していること、右工事説明会に際し、被告大阪市交通局側は、沿道住民に対し、二号線建設の必要性、工法の内容、作業日程、作業時間について説明するとともに、併せて、<1>工事着手前に各沿道家屋の家屋調査をして家屋被害判断の参考資料とする、<2>老朽家屋の事前防護をする、<3>井戸の枯渇補償をする用意がある、<4>夜間工事の騒音・振動に耐えられない場合には、一時移転対策として契約旅館を確保してある、<5>工事後各戸別毎に家屋の被害調査をして補償交渉する等を約束し、その席上連絡先を記載したパンフレットを配付し、窓口として被告大阪市交通局の建設事務所・被告ら工事請負業者の建設事務所・右交通局本局の三個所があるが、苦情がある場合には、先ずは右被告ら工事請負業者の建設事務所に申出られたい旨説明したこと、また右趣旨を被告ら工事請負業者にも周知徹底させたこと、その後、被告大阪市交通局庶務課調査係と被告ら工事請負業者建設事務所の各担当者が沿道南北両側の幅三〇メートル範囲の各家屋に業者連絡先を印刷したタオル等を持参して挨拶廻りをしたこと、しかし、一時移転対策の点については実際は、原告らの中から移転希望者はなく、僅かに第八工区で出産直後の女性が一時移転を希望し、結局親戚の家に移転し被告大阪市で三〇日分の費用を負担した例が一件あったにすぎなかったこと(但し、証人藤田伸三の証言によれば、被告大阪市に正式報告がないまま業者サイドのみで処理されたケースも否定できない。)、更に、被告大阪市側では各業者に対し、杭の建込み等騒音振動の発生が予想される場合には、工事場所付近の沿道住民に対し、事前に工事内容を知らせるように指導したことが認められ、この認定に反する証拠はない。
3 工事中の観測データの存否
<証拠>によれば、本件地下鉄工事期間中少なくとも一部地域について騒音・振動の観測がなされたものと推認される。しかしながら、本件訴訟の審理を通じて、被告ら側からそのデータの存否は遂に明らかにされなかった。
4 住民からの苦情に対する対処
<証拠>を総合すれば、本件地下鉄工事期間中沿道住民から工事について苦情が寄せられた場合、専ら被告ら請負業者四社によって対処・処理され、後記のとおり、被告大阪市は、昭和四六年一二月一八日に都島地下鉄工事被害者同盟が結成される頃まで、沿道住民との直接交渉には応じなかったこと、その後後記認定のとおり、昭和四七年一〇月二三日に都島本通一丁目から守口市本町三丁目にかけての住民二五名が、本件地下鉄工事に係る紛争について、公害紛争処理法二六条に基づき大阪府公害審査会に被告大阪市を相手方として調停を申立て、同年一一月二六日沿道住民二一六名が右調停参加申立てをしたが、被告大阪市は見るべき具体的方針を示さなかったことが認められる。
5 事後調査
後記第七で認定説示のとおり、本件地下鉄工事後に被告らは家屋被害の調査を行ない、被告者らと被害個所の補修又はその費用支払いの示談をしたが、その調査結果は被害個所の補修又は補償金額の算出にのみ急で被害救済としては十分なものでなかったと評さざるを得ない。
6 一部家屋の揚家工事の実施
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(一) 原告生山綾子(原告番号六〇番)所有家屋及び原告杉江直巳(原告番号六八番)所有家屋の揚家工事の実施
沿道住民所有家屋のうち、右原告両名所有の家屋についてのみ揚家工事が実施されている。このうち、本件で原告らが揚家工事実施の要否を定める基準としているのは原告杉江直巳所有家屋であるので、以下その工事内容等について検討を加える。
(二) 原告杉江直巳所有家屋の揚家工事の内容
(1) 解体工事
屋根材と外壁の一部を除き、すべての仕上材を取り除く、土台の緊結金物を取り除く。なお、外壁の一部が除かれているのは、同家屋では本件地下鉄工事現場に平行な壁面は歪みが小さいと判断されたためである。
(2) 矯正工事
ジャッキで構造体を持上げ、基礎天端のレベル調整を行なう。その後、構造体を基礎に緊結し、構造体の歪みを矯正する。
(3) 補強工事
構造体全体を点検し、緩みが生じている場合、新しい部材を取替えるか、又は金物で補強する。
(4) 仕上工事
現状の仕上材料(仕上材料等が製造中止になっている場合などは、同等品程度)で仕上を施す。
(三) 原告杉江直巳所有家屋の揚家工事実施前の損傷状態
(1) 家屋の相対的沈下量
同家屋の相対的沈下量は五三ミリメートルであり、これに基づき床の勾配を換算すると一〇〇〇ミリメートルに対し五・八ミリメートル程度となる。
(2) 家屋のずれ
同家屋のずれは、本件地下鉄工事現場側(北側)で四四ミリメートル、反対側の南側端部で三六ミリメートル程度である。
(3) 家屋の伸び
同家屋の伸びは、前項の四四ミリメートルから三六ミリメートルを差引いた八ミリメートル程度である。
(4) 柱の傾斜値の推計値
測定値は残存していないが、各柱の柱脚・柱頭のずれの相対値、天井高の推定値等により計算すると、同家屋のずれによる柱の傾斜推計値は一〇〇〇ミリメートル当り〇・四ミリメートル程度、また、床の勾配から計算すると、右推計値は一〇〇〇ミリメートルに対し五ないし六ミリメートル程度となる。
(5) 「杉江宅家屋水平方向変位測定表」(甲第六号証)
一級建築士である原告杉江直巳は、昭和四六年一一月一〇日、同家屋と南側に隣接して建っている家屋との間に約二七ミリメートル程度の隙間が生じているのを発見し、当該工区の施工業者である被告松村組に連絡して確認を得るとともに、翌一一日ダイヤルゲージを購入して、同月一二日以降四か月間にわたって同家屋の水平方向変位の測定を続け、前記「杉江宅家屋水平方向変位測定表」を作成した。
右測定結果によると、測定開始後一か月間に本件地下鉄工事現場側へ計七・六ミリメートルの水平方向の変位(一日当り平均〇・二五ミリメートル)があったことになり、また、前記隣接家屋との間の四か月間の相対的水平方向の変位量の累計は約三六ミリメートル程度に達している。
(四) まとめ
以上によれば、前記両家屋の揚家工事は、甲第一〇号証の一の指摘するように(八三頁)、「地下鉄工事関係者も地下鉄工事による家屋被災の発生を認めている」とまではいえないにしても、他の原告らの家屋被害の程度・状況からみて、また揚家工事を必要とする後記基準からみてにわかに首肯しうる合理的理由は見出し難い。
7 住民運動
<証拠>を総合すれば、いわゆる天六ガス爆発事故後昭和四五年九月に工事が再開され、本件沿道住民から被告大阪市に対して、工事の安全性に対する危惧や、夜間工事に対する苦情が寄せられたが、昭和四六年一二月一八日、都島地下鉄工事被害者同盟が結成され、被告大阪市に対し、建物被害・健康被害・営業損害等について交渉することとなったことが認められる。
8 公害調停
<証拠>を総合すれば、昭和四七年一〇月二三日、都島本通一丁目から守口市本町三丁目にかけての住民二五名が、本件地下鉄工事に係る紛争について、公害紛争処理法二六条に基づき、大阪府公害審査会に被告大阪市を相手方として調停を申立てたこと(同審査会昭和四七年(調)第四号事件、以下「四号事件」という。)、右申立内容は、<1>工事時間の変更・短縮、<2>工法の改善、<3>騒音・振動・地盤沈下に対する十分な対策、<4>健康被害・経済的被害に対する救済等であったこと、当初申立人側が特に問題としたのは、右<1>の工事時間の変更すなわち夜間工事の昼間工事への変更の問題であり、審査会も昭和四八年一月一九日の第五回調停期日に大阪府警察本部交通規制課課長補佐を参考人として呼び、昼間工事への変更の可否について見解を質したが、府警側としては、交通行政上昼間工事への変更は不可能であるとの見解が示されたこと、同年一一月二六日、四号事件について五名の者が前記<4>健康被害・経済的被害の損害額が明らかになったとしてその賠償を求める旨変更申立てをし(同審査会昭和四九年(調)第一号事件)、また、同日新たに二一六名の沿道住民が本件地下鉄工事に伴う騒音・振動・粉塵・地盤沈下等による損害賠償を求めて四号事件に参加申立てをしたこと、その後審査会での議論の焦点は、建物被害・健康被害の補償問題へ移行し調停期日が繰返されたが決着をみず、昭和五五年一一月二二日には、原告らが本件訴え(甲事件)を提起し、昭和五六年五月二六日の第八回調停期日以降は期日追って指定のままとなっていること、以上のことが認められる。
なお、別紙「調停申立人(又は参加申立人)目録」記載の各原告が、四号事件の調停申立てないし参加申立ての当事者となっていることは、右関係証拠により認められるが、この点については被告らも明らかに争わないところである。
9 まとめ
以上を総合して考えると、被告らは、沿道住民に対し適切な工事内容の説明を尽くしたとはいえず、その苦情申出に対して、又原被告らの折衝過程において、被告らが誠意ある適切な対応に欠けるところがなかったとはいえない。
七 原告ら居住地域の特性(地域性)
<証拠>によれば、原告らが居住する地域は、都市計画法の用途指定地域の指定上、住居地域、商業地域、工業地域等に指定された区域が混在する地域であると認められ、また現実の使用状況からしても、原告ら主張の本件沿道中心線から南北幅三〇メートルの範囲で考える限り、純然たる住居地域というよりもむしろ主として大都市の準商工業地域であることが認められる。更に前記認定説示のとおり、右地域は元来交通量の多い市道北野・都島線に画する地域で暗騒音は低くはないが、同地域の特性から必然的に生ずる暗騒音の範囲内にあるものと推認される。
なお、本件地下鉄工事の騒音振動は従前の低くはない右暗騒音の上に相乗して原告らに作用し体感影響度を高めたことも看過できない。
八 叙上説示の要約と総合判断
以上の次第で、まず原告ら主張の侵害行為の態様・程度についてみると、本件地下鉄工事は、緊急の課題・要請もあって事前に騒音・振動及び地盤沈下等の環境影響予測が十分に行なわれることなく計画決定され、このうち本件第六ないし第九工区の工事は、昭和四四年九月ないし一二月頃に着工し昭和四七年一二月ないし昭和四八年七月頃に土木工事が完成するまでの約四年間にわたる長期の工事期間を要した。この間、昭和四五年三月から同年九月にかけて開催された万国博覧会の期間中(なお、同年四月八日第四工区ではいわゆる天六のガス爆発事故が発生した。)の約六か月間工事が中断した期間を除き、原告ら宅から個別的にみれば間欠的な部分があるとはいえ、午後八時から翌日午前七時までの夜間(深夜)工事を中心として、原告らの居宅と軒先、遠くても三〇メートル以内の至近距離で各種大型土木・建設機械を使用し工事車の頻繁な通行の中で、主としてオープンカット工法(第六工区ではケーソン工法工区を除く)により、元来軟弱地盤で自然沈下も起こり易い本件地盤を地下深く大規模かつ広範囲に掘削するなどして行なわれた。その結果、原告らに対し、右土木・建設工事機械、工事車等から発生する騒音及び振動のため睡眠妨害等広範囲の日常生活妨害に係る精神的被害とともに、地下掘削に伴う地盤沈下により家屋損傷等の被害を与えたものである。その際の騒音・振動値は数値として現在まで残されているものは極めて乏しいけれども、これまでに認定説示したところによれば、原告ら居宅の軒先近くで特に歩車道舗装割等の地上で夜間工事が施工された場合、その程度は本件沿道の暗騒音や距離減衰を考慮してもなお相当に激烈かつ不快なもので、本件地下鉄工事地域が交通幹線道路に面した大都市準商工業地域であることを考慮しても、少なくとも夜間の睡眠と健康を確保するうえでの室内限界値ともいうべき騒音値五〇ないし五五ホン、振動値七〇ないし七五デシベルを大幅に超えることもかなりあったうえ、これらは各種行政指針及法律上の規制基準(これらは室内値ではない)を超えた違法なものである。また、工事が各工区をブロックごとに分けて沿道の南北に順次施工されたため、地上工事による騒音・振動の影響範囲・期間も相当広範囲かつ長期間に及んだとみられ、更に、覆工板架設後の工事に際しても、覆工板上を走行する各種車両の発するいわば副次的騒音・振動も軽視できず、特に天六のガス爆発事故を契機に住民の不安は累増していたので、騒音値・振動値・沈下量といった数値に表現できない不安感・不快感・いら立ちといった心理的・生理的要因が原告らの精神的被害を形成するうえで相当大きな影響を与えたことは容易に推認できる。
次に、原告らの被侵害利益、即ち、快適な住居での静穏な生活、とりわけ夜間の休息安眠の享有は人間生活に必要不可欠の条件であり、誰もが等しく享有しうる人格権の一内容といえるが、原告らは本件地下鉄工事の騒音・振動等により、家屋は損傷されたり、夜間の静穏な休息安眠は妨害され、その他日常生活が長期間にわたり妨害された。
他方、本件地下鉄工事が大阪市民らの日常生活や産業活動にとって不可欠かつ緊急の公共的工事であり、二号線が完成したため原告らもまた社会生活上の便益を享受するに至ったことは否定できないが、公共的利益の実現はそれにより利益を享有する者全員の負担において実現されるべきであって、原告ら沿道住民という一部少数者の犠牲の上に実現されるべきものではないので、本件地下鉄工事が公共性の高い工事であることを理由に原告らに右利益侵害による損害の受忍を強いることは相当でない。
更に、被害回避の可能性及び防止措置についてみると、オープンカット工法を選択したこと自体は、前叙のとおり、路線予定地の地形・地質・地下埋設物の有無等の施工条件及び地下鉄構造物の状況(線形、駅部配置・線路配置)並びに当時の技術水準・財政事情等から考えてやむを得ないところであり、夜間工事についても、当時の警察の方針と社会情勢その他からすると相応の理由があり、被害防止軽減のための原告ら主張の代替案も必ずしも現実的なものとはいえない。また今日の実情では、技術的・経済的にみて、程度の差はともかくとしても、本件地下鉄工事による騒音・振動等が被告ら主張のようにある意味で不可避的な側面のあったことも否定できない。しかしながら、騒音・振動等の発生がいかに不可避的であるとしても、被告らは騒音・振動等の大小、質、発生時間帯、継続期間等からみて侵害される被侵害利益の性質・内容を考慮検討し、少なくとも技術的・経済的には可能で、かつ社会通念上も受忍の限度内のものとされる程度の騒音振動に軽減すべき万全の対策措置を講ずべきである。
進んで、被告らの被害防止措置についてみると、被告らは、地元の住民から苦情が申立てられるまでは、騒音・振動・粉塵を防止すべき有効かつ適切な見るべき対策を講じていたとはいえない。その後沿道住民からの苦情申立てもあって、被告ら側でも特に騒音・振動の点については、前記認定説示のとおりある程度の発生源対策をとったことは認められるが、その現実の効果は明らかでなく、更に、右以上の措置を講じたか否かは証拠上も明らかにされていない。
最後に、当事者の折衝の経過についてみても、被告らは基礎的データーの開示に消極的であったり、揚家工事の要否の基準についても家屋被害者らに首肯しうる客観的合理的基準を設定せずに行なうなど原告ら沿道住民の真の理解と協力を得るための適切かつ十分な折衝応対をしたとまではいえない。
そうすると、本件地下鉄工事に起因する騒音・振動等が受忍限度内のものかどうか、即ち違法性の判断基準となる前記諸事情を考慮し、これらを総合的に考察すると、本件地下鉄工事に起因して発生した騒音・振動等には前記規制基準等の関係で同基準を超えた違法なものが多いことは明らかであるが、更に、同騒音・振動(とりわけ、夜間室内で、騒音五五ホン、振動七五デシベルを超えたもの)とそれにより原告らの被った損害は右違法性判断基準に照らし許容の限度を超えたものとして原告らに受忍を強いることは相当ではないので、結局、本件地下鉄工事自体がいかに緊要の公共的事業として施工されたとはいえ、それに起因する騒音・振動は原告らの右利益を侵害し、かつ受忍の限度を超えた違法なものといわざるをえない。また、本件地下鉄工事に起因して発生した粉塵被害についても、その程度状況からみて右基準に照らし受忍限度を超えたものがあったことは否定できない。
更に、本件地下鉄工事に起因する地盤沈下により原告らが被った家屋損害についても、同様に原告らの受忍限度を超えた違法な行為による損害といわざるをえない。
第六 被告らの責任原因について
一 被告らの有責性
1 騒音・振動等
(一) 被告大阪市を除くその余の被告建設会社らの過失責任
原告らは、被告大阪市も含め被告ら全員の工事施工又は注文・指図上の過失として、シールド工法を採用しなかった過失、昼間工事をしなかった過失、騒音・振動等の発生を防止又は軽減しなかった過失を主張する。
しかし、前記認定説示のとおり、被告らが本件地下鉄工事でオープンカット工法を採用施工したこと及び夜間工事をしたこと自体については、被告ら側に落度があったとまではいえないので、この点においては被告らの過失責任をにわかに肯認することができない。
そこで次に、被告らが本件地下鉄工事の騒音・振動等を防止又は軽減しなかった過失につき検討するに、被告建設会社らが本件地下鉄工事中に受忍限度を超えた違法な騒音・振動等を発生させ、原告らに対し、睡眠妨害、生活妨害その他諸々の精神的苦痛を与えたことは、前記認定説示のとおりである。
ところで、本件地下鉄工事のような大規模かつ長期間にわたる建設工事を主として夜間に本件沿道の原告ら居住地付近において行なう場合には、その工事内容と工法及び使用機械等からみて、騒音・振動等の発生が不可避的なものであり、それにより付近住民の休息安眠はもとより広範囲の日常生活の妨害等を招来するおそれのあることは一般経験則上認識又は予見しうるところであり、とりわけ被告建設会社らは土木建設工事専門業者であるから、その知識経験からして、本件地下鉄工事の内容、その工法と使用機械、同機械により発生する騒音・振動値並びにそれにより本件沿道住民に与える騒音・振動の程度・内容、それによって周辺住民の被る被害の程度・内容、更に、それが環境基準及び法律上の規制基準等を超えるものがあることは容易に認識し又は予見しえたものといわざるをえない。
そうすると、被告建設会社らは、たとえ本件地下鉄工事により発生する騒音・振動等が不可避的なものとして防止しえなかったとしても、前記第五の違法牲について述べた技術的・財政的・法津的諸制約の下で、被害住民の被害状況を可能な限り軽減するために、最良の防騒音・防振動装置を講じたり、或いは騒音・振動の大きい機械の使用時間帯と使用時間の短縮化等に十分な配慮をし、もって右工事騒音・振動等による被害を少なくとも受忍限度内のものに軽減する万全の対策措置を講ずべき注意義務があるものといわざるをえない。
しかしながら本件においては、被告建設会社らが本件地下鉄工事の施工に際し、予め騒音・振動等による被害状況の予測調査をし被害防止の具体的対策措置を慎重に検討実施したことを証する資料もなく、また、本件地下鉄工事中の被害住民からの苦情により、はじめて前記認定説示のようなある程度の防騒音・防振動装置の使用、或いは騒音・振動の大きい機械の使用時間帯と使用時間の短縮化に配慮するなど騒音・振動の軽減と被害防止の対策措置を講じたことは窺えるものの、それがどの工区でどの程度具体的に実施されたか、それがどの程度の効果を挙げたか、更に不十分なものとして有効な対策措置が検討実施されたかの調査確認の資料もみられない一方、原告らはその後も依然同様の被害を訴え昼間工事への変更を要求したのであるから、被告建設会社らは本件地下鉄工事による騒音・振動等を少なくとも原告らの受忍限度内に軽減する万全の対策を講じたとはいえない(前記第三の騒音・振動軽減対策措置のみによっては十分な効果はみられない)。なお、被告建設会社らは、本件地下鉄工事に当って、騒音・振動等を防止又は軽減するための最良の工法と機械を使用し、かつ防騒音・防振動装置設備をも併せ使用するなど騒音・振動等を防止又は軽減するために可能な限りの努力はしており、当時としては他に有効適切な手段方法はなかった旨主張し、事実被告建設会社らは、前記第五で認定説示のとおり、原告ら沿道住民から苦情が出た後にはその主張のようにある程度の騒音・振動等の防止又は軽減のための手段方法を講じたことは認定評価しうるとしても、右のとおり、その実施の程度・効果等を調査確認したり、更に有効な手段方法の検討実施したことの資料もなく、原告らも依然同様の被害を訴え続けており、また、被告建設会社らにおいて少なくとも右軽減方法について他に有効適切な手段方法がなかったことにつき具体的な主張立証もしていない本件においては、被告建設会社らの右主張はにわかに採用できない。
なお、被告建設会社らは、右騒音・振動等の防止軽減について他に有効適切な手段方法がないとすれば、これを前提として被害住民の真の理解と協力を求め誠意ある折衝対応を行なうべきであるのに、被告建設会社らが原告らに対し十分な説明と対応をしたといえないことは前述のとおりであるが、とりわけ原告らに対し一時の移転先を提供したというのみでは、誠意ある適切な対応をしたとまではいえない。
以上要するに、被告建設会社らは、本件地下鉄工事の施工に当り、同工事より発生する騒音・振動等により原告らが前記精神的損害を被ることを認識又は予見しえたのであるから、前記技術面及び財政面の制約下において最良の工法・施工方法を選択実施し、かつその施工の時間帯等についても十分な配慮をなし、右騒音・振動等を少なくとも受忍限度内のものにまで防止又は軽減するため万全の対策措置を講ずべき注意義務があるのに、同注意義務を十分に尽すこともなく原告らに損害を与えたものといわざるをえない。
よって、被告建設会社らは原告らに対し、民法七〇九条により、原告らが本件地下鉄工事により被った後記損害につき賠償責任を免れることはできない。
(二) 被告大阪市の注文者責任
被告大阪市は本件地下鉄工事の注文者であり、被告建設会社らは、その請負人であること、また本件地下鉄工事の工事請負契約書(乙第二号証)において、被告大阪市が被告建設会社らに対し本件地下鉄工事の工法・工種・工期及び施工順序を決定しその施工を指図したり指揮監督する関係にあること、また事実、被告大阪市は工事現場において被告建設会社らに対し工事の施工を直接指揮監督して来たことは、前記認定説示のとおりである。
また、被告建設会社らは、本件地下鉄工事の施工に当り原告らに与えた損害を賠償する責任のあることは、右(一)で述べたとおりである。
そこで、右のような事実関係の下で、被告建設会社らが原告らに与えた損害について、被告大阪市に注文者としての賠償責任があるかについて更に検討することとする。
注文者の責任については、民法は、注文又は指図に付き過失があるときは注文者は賠償責任がある旨規定(民法七一六条但書)している。また、右工事請負契約書第一九条においても、注文者の責に帰すべき事由による場合は注文者は請負人が第三者に与えた損害の賠償責任を負う旨定めている。そして、右契約条項自体は、被告大阪市と被告建設会社ら間のいわば内部的な損害負担関係を定めたものであるが、本件地下鉄工事が被告大阪市の注文又は指図に従って行われること、及びその場合の損害賠償責任の帰属を民法の右規定の趣旨に従って明らかにしたものと解される。
ところで、前記認定説示のとおり、本件地下鉄工事は被告大阪市が二号線建設計画の下にその工事内容、その工法とその具体的な施工方法(夜間工事等)を決定設計し、請負人である被告建設会社らに対し注文又は指図してこれを施工させたものであり、またその施工過程においても、被告大阪市は被告建設会社らに対し工事現場等でも直接に指揮監督して来たし、被告建設会社らもこれに全面的に従って本件地下鉄工事を施工する立場にあったものである。そして、被告大阪市としても、本件地下鉄工事の決定・注文に際し、被告建設会社らと同様に、本件地下鉄工事により発生する騒音・振動等の内容・程度、それにより本件沿道住民の被る損害の内容・程度、それが受忍の限度を超える場合のあること等を認識又は予見しえたものといわざるをえない。
そうすると、被告大阪市は本件地下鉄工事の注文者として、被告建設会社らに対する注文又は指図により、原告らの損害の発生の防止又は少なくとも同損害を受忍の限度内に軽減するために万全の対策措置を指図すべき注意義務があるものといわざるをえない。
因みに、被告大阪市は大阪市交通局高速鉄道建設本部建設部土木課作成の本件地下鉄工事用「地下工事標準仕様書」(乙第三号証)第一章(総則)第一七条で、請負人である被告建設会社らに対し、「工事施工に当っては騒音規制法並びに関係法令に従うと共に機械の運転その他について付近住家並びに通行人に迷惑を及ぼさないよう適当な防音施設を行なう。」旨義務付け、更に同第一九条では、「本件工事区域は都心部で且つ交通量が大であるので夜間作業となる場合が多いが、請負人は注文者の指示に従い昼夜の別なく作業を行なうよう留意せねばならない。」旨規定し、被告大阪市と被告建設会社ら間の右関係を明確にしている。
そうすると、被告大阪市は注文又は指図により被告建設会社らの施工する本件地下鉄工事に起因する原告らの損害の発生を未然に防止又は軽減しうる立場にあり、したがって、右指図等により右損害の発生を未然に防止又は軽減すべき注意義務を負うものといわざるをえない。
ところが、被告大阪市は本件地下鉄工事の騒音・振動の防止又は軽減のために、右(一)に述べたと同様の対策措置を講じたり、或いは被告建設会社らに対し同旨の具体的対策措置を指示したり、更に原告らと被害救済につき被告建設会社ら以上に適切かつ誠意ある折衝対応をしたことを認めるに足りる証拠はない。
してみると、被告大阪市は注文者として本件地下鉄工事の騒音・振動等により原告らの被る損害の発生を防止又は受忍限度内に軽減すべき注意義務があるのにこれを怠り、原告らに損害を与えたものとして、民法七一六条但書により、原告らが本件地下鉄工事により被った後記損害を賠償する責任を免れえない。
2 地盤沈下
(一) 被告大阪市を除くその余の被告建設会社らの過失責任
本件地下鉄工事沿道地盤が軟弱で地下水位も地表面から僅か約一メートルという高水位にあり、本件地下鉄工事以前からも相当量の自然沈下現象がみられたこと、本件地下鉄工事が開削工法で連続土留杭工法により施工されるものであるが、その掘削は前記機械の使用により地表面下一五メートルないし二〇メートルの深度で垂直に、しかも幅約二〇メートルの広範囲にわたり掘削するというものであり、右条件下では経験則上右施工方法により軟弱地盤の沈下の起こりうる蓋然性が高いこと、原告ら居住家屋の多くは築後十数年以上も経過した木造家屋等で、その基礎及び構造は堅固でない家屋であり、しかも本件地下鉄工事現場付近に存在しているので、右地盤沈下の発生により家屋傾斜等が起こり家屋損傷を招来するおそれの大であること等はこれまでに説示して来たところであり、被告建設会社らは土木建設業の専門家としてその知識経験により、又事前調査の結果により本件地下鉄工事による地盤沈下及びそれに伴う家屋被害発生のおそれについては同工事の当初より認識又は予見しえたものといわざるをえない。
そうすると、被告建設会社らとしては、右のような事情の下で危険を伴う工事を施工するに当たっては、右地盤の沈下及びそれに伴う家屋被害発生の防止又は軽減のためには前記技術的・財政的・法律的諸制約の下で可能な限りの万全の方策を検討し採択実施すべきであり、とりわけ、本件地下鉄工事に際しては、本件地盤の状況を予め調査確認し、右諸制約下で地盤状況に即応して可能な限り安全な工法を採択実施し、かつ同工事中は地盤挙動状況、とりわけ地盤沈下のおそれの有無状況等を計測管理等により十分に注視管理し、地盤沈下のおそれが生じた時はそれに対抗して適宜支保工の補強、更に土留工法の変更、地盤補強剤注入、更に工事の一時中止又は変更等万全の方策を検討実施し、右地盤沈下に伴う家屋被害等の発生を防止又は軽減すべき注意義務があるものといわざるをえない。
因みに、前記地下工事標準仕様書第一章第二三条は、「本工事期間中請負人は観測井戸の管理に注意すると共に、定期的に地下水位の観測結果を注文者大阪市交通局長に報告するものとする。なお、観測井戸は原則として三〇〇メートルに一個所設置するものとする。」旨規定し、更に第九章第七条では、「掘削中、局部的に軟弱地盤が現われたり、底部近くになりヒービング・ボイリングのおそれ等が生じたときはすみやかに注文者大阪市交通局長に連絡し、その指示により支保工の補強、地盤補強剤注入その他万全の方策を講じること。」と規定し、被告建設会社らの右注意義務を明記している。
事実、被告建設会社らにおいても、前記第五で認定説示のとおり、本件地下鉄工事現場の地質・地盤、沿道建物の状況等の事前調査の資料に基づき、被告大阪市の指図の下で連続土留杭工法等を選択実施し、支保工の段数増加と切梁のジャッキ・アップによる土留杭の剛性・連続性の強化、遮水性の確保、凝固剤注入による地盤改良等地盤安定強化の対策措置を講じ、また本件地下鉄工事中も地下水位の観測及び土留杭に対する水平圧力測定、地盤挙動変動等の計測管理を行ない、主として地下水位下降に伴う圧密沈下に対処する対策措置をある程度講じて来たことは認められるが、その実施の具体的な内容と程度と効果は明らかでなく、更にその際、より有効適切な対策効果を検討実施した形跡資料もみられず、しかもその後にも相当量の地盤沈下と家屋被害の発生を現実に招来したことが窺える本件においては、その効果の点からはもとより、被告建設会社らにおいて右技術的・財政的制約下で可能な限りの最良の方法を選択実施したものといえるかは甚だ疑わしい。
もとより、被告建設会社らの採りうる右対策措置についても右制約下で自ら限度の存することは前述のとおりであるが、被告建設会社らにおいて、本件地下鉄工事を施工すれば地盤沈下等により原告ら所有家屋に被害を与えるおそれがあることを認識し又は予見しえたにもかかわらず、なお本件地下鉄工事を緊急必要なものとして施工し原告ら所有家屋に現実に損害を与えたのであるから、被告建設会社らが過失責任を免れうるためには右諸制約下で他に有効かつ適切な施工方法や措置を講じえなかったことについて、具体的な主張立証をなすべきところ、被告建設会社らは右主張立証を行なっていないし、その資料の提出も行なっていない。
そうすると、被告建設会社らは本件地下鉄工事により地盤沈下に伴う家屋被害の発生のおそれを認識又は予見しえたにもかかわらず、これを防止又は軽減するための可能かつ適切な対策措置も不十分なまま本件地下鉄工事を施工し原告ら所有家屋に後記損害を与えたものといわざるをえないから、本件地下鉄工事の施工者としての過失責任は免れえない。
してみると、被告建設会社らは、本件地下鉄工事の施工者として、民法七〇九条により、本件地下鉄工事に起因して発生した原告ら所有の家屋損害につき賠償責任を免れえない。
(二) 被告大阪市の注文者責任
被告大阪市が注文者として本件地下鉄工事の内容・工法等を決定設計し、請負人の被告建設会社らに対し指図して施工させ、その工事施工中も工事施工方法等を指示監督して来たことは、前述のとおりである。
ところで、被告大阪市は本件地下鉄工事の注文に当って、被告建設会社と同様の理由で、とりわけ、本件地下鉄工事地盤の事前調査の結果等からも、本件地下鉄工事の施工により地盤沈下、更に家屋被害の発生のおそれのあることを容易に認識又は予見しえたものといわざるをえない。
そうすると、被告大阪市は注文者として、またその後の本件地下鉄工事の施工監督者として、同工事の注文に際し、或いは同工事中、右と同様に前記諸制約下において可能な限りの万全の対策措置を検討指示し、本件地下鉄工事による地盤沈下、更にそれに伴う家屋被害の発生を未然に防止又は軽減すべき注意義務があるにもかかわらず、被告大阪市は被告建設会社らに対し同被告らが講じた右対策措置以上に有効かつ適切な対策措置を指図したことを証する資料もないのであるから、被告大阪市の注文者としての過失責任は否定できない。
なお、被告大阪市も本件地下鉄工事による家屋被害の防止のために注文者として最良の工法と施工方法を選択決定し、被告建設会社らに対しその旨指図して来たので、注文者としての過失責任はない旨主張する。
しかしながら、被告大阪市が右に説示したこと以上に有効適切な対策措置を指図したことを認めるに足りる資料はなく、他方本件地下鉄工事により原告ら所有家屋の被害損傷が現実に発生したことは否定できないので、その効果の面からみても右対策措置が最良の方法であることを裏付けるに足りる資料もない本件においては、被告大阪市の注文又は指図における過失責任をたやすく否定することはできない。
してみると、被告大阪市は、本件地下鉄工事の注文者として、民法七一六条但書により、本件地下鉄工事に起因して発生した原告ら所有の後記家屋損害につき賠償責任を免れえない。
二 被告らの共同不法行為責任
以上の次第で、結局本件地下鉄工事騒音・振動等及び地盤沈下は、同工事発注者である被告大阪市の注文上又は指図上の過失(民法七一六条但書)と、同工事施工者である被告建設会社らの過失(民法七〇九条)とが関連競合して発生したものと解するのが相当であるから、被告大阪市と本件各工区の被告建設会社間には共同不法行為(民法七一九条)が成立し、同被告らは本件地下鉄工事に起因しこれと相当因果関係にある原告らの後記第七の損害について賠償責任があると解すべきである。
第七 原告らの損害
一 本件騒音・振動等による慰藉料
1 一律請求の適否
前記認定説示のとおり、原告らが本件地下鉄工事に起因する騒音・振動・粉塵等により被った精神的苦痛に対する慰藉料について検討する。
ところで、原告ら主張の本件慰藉料請求は、正確な年令による区分ではないが概ね、成人一人当たり金七〇万円、未成年者一人当たりその半額の金三五万円の各支払を求めるいわゆる一律請求であるので、まずこの点について検討する。
不法行為による慰藉料の額は、本来各被害者の被った精神的被害状況に応じて、したがって、各被害者の個別的具体的事情に応じて異なるものであり、本件地下鉄工事の騒音・振動等のような工事騒音・振動等による精神的苦痛を定量的に測定する方法は未だ示されていないので、本件騒音・振動等の被暴量はもとより、被害者のおかれた社会的地位、職業、年齢、健康状態、家庭生活における役割等によってかなり差異のあることは否定できない。また、訴訟法的な観点からみれば、不法行為による慰藉料の額は、右のように各被害者の個別・具体的な事情に応じて異なるものであるから、原告らとしては、本来これらをすべて個々に主張・立証することが必要であり、これはいわゆる集団訴訟においても何ら別異に解すべきものではない。
しかしながら、原因や事実関係を共通とする不法行為による慰藉料請求などの場合においては、その原因関係に対して客観的に一定の関係に立つものと認められる被害者らの間では、少なくとも一定の限度で共通して受けている被害(最低限度の被害)の存在を観念しうるものであることもまた疑いのないところであり、各被害者の具体的な職務内容、収入、経歴、健康状態、感受性など細目的な諸事情は、本件のような大規模かつ広範囲の建設工事の騒音・振動等による精神的損害を論じるに際しては、特段の事情がない限り、特殊事情として考慮外におき、各被害者らに共通した最低限度の損害額を定量・定額化して把握することは可能であり、また訴訟法上も、右限度では、原告らにおいて、一部の被害者についてのみ具体的な立証を行なったり、同一の事実関係のもとにおかれている集団についての調査結果(アンケート調査)などによる概括的な立証を行なうこともそれなりに合理性を有するものとして許容され、また、原告らがこのような請求の方法を選択してこれを前提とする立証を行なった場合には、仮に一部の原告が個別に他の原告らに比較して被害の程度が著しいという特別の事情の存在を主張・立証しても、裁判所としては、慰藉料額の算定にあたってこれを考慮すべきものではなく、その限度で個々の原告が不利益を負担する結果となってもやむを得ないものというべきである。
したがって、原告らの本件慰藉料請求のようないわゆる一律請求は、主として成人と未成年者の類型下において右の限度で一律に各定額化した請求という意味では正当なものとして許容されるものと解するのが相当である。
2 慰藉料算定基準
(一) 一律算定
そこで、当裁判所は本件地下鉄工事に起因する原告らに共通した最低限度の右精神的被害を右違法性、更に受忍限度との関係で検討して慰藉料額を算定することとするが、右算定に当っては、一方において本件地下鉄工事に伴う騒音・振動等と被害の内容・程度、とりわけ右被害程度は本件沿道における居住期間と高度の相関性があることを考慮し、他方においては右工事期間が長期に亘りその間原告ら側において存在する諸事情又は本件地下鉄工事以外に起因する諸事情としていちいち慰藉料額に反映させることの不可能、或いは不相当な事情も多いことに鑑み、原告らが本件地下鉄工事の沿道に居住し右工事期間中の騒音・振動・粉塵等を中心として受けた精神的被害に対する慰藉料としては、その共通性と右相関性から原告らの本件沿道居住期間中の同工事日数(本件においては別紙認容金額目録工事日数欄記載のとおり)をもって右算定の主たる基礎とするを相当とする。
したがって、右工事(第九工区)終了後の昭和四八年五月三日から本件沿道に居住したと主張する原告森茂雄は、他に特段の事情も認められないので、本件地下鉄工事の騒音・振動等に基づく慰藉料請求権を取得するものではない。
ところで、原告らが精神的被害を被った本件地下鉄工事による騒音・振動・粉塵等の内容と程度、本件騒音・振動・粉塵等の中には受忍限度を超えた違法なものがあること、本件騒音・振動・粉塵による原告らの被害の程度・状況、本件地下鉄工事の施工期間、施工内容・状況、施工時間帯等については、前記認定説示のとおりであり、また、これら本件に現われた一切の事情の下における原告らに共通した一律慰藉料額は、工事期間中の工程内容により日々差異があるが日々の慰藉料額を特定立証できないので一日当りに平均して算定することとして、本件地下鉄工事施工(着工)時成人に達していた原告らについては本件沿道居住期間中の工事日数一日当り金二〇〇円(但し、成人の場合でも未成年者と同額の請求をしている原告についてはその請求基準によることとする)、また、その当時未成年者であった原告らについては右一日当り金一〇〇円(原告らも未成年者は成人の半額を請求している)をもって相当と解する。
なお、本件においては、本件地下鉄工事の施工状況は、同工事期間中間断なく連続して全工区に亘って一斉均一して行なわれたものではなく、同工事施工期間中も工区又は場所によっては、全く工事の行なわれなかった日もかなりあり、或いは同工事場所・施工態様(地上工事又は地下工事、施工機械の使用状況)・施工時間帯等により原告らの受ける被害の程度・内容も一定せずにかなり相異しているものといわざるをえない。更に、原告らの右被害内容・程度についても、受忍限度を超える騒音・振動等によるものとそうでないものの区別、或いは当該工区、或いは隣接工区の工事施工に伴う騒音・振動等によるものであるかについても、本件では必ずしも明らかではない。事実、本件においては、事後において右立証が不可能又は極めて困難であることは、既に述べたとおりである。
しかし、原告らが本件地下鉄工事の騒音・振動等、とりわけ受忍限度を超えたこれら違法な騒音・振動等により各工区に共通して前記精神的損害を受けたことも否定できず、他方、本件地下鉄工事期間中の各工区の現実の具体的な工事施工状況には差異があるとしても、各工区の工程を工事開始から完了に至るまでの全過程で全体的にみると工事内容・日程にかなりの類似共通性がみられるので、本件地下鉄工事期間中の原告らの慰藉料額を原告らの前記被害の程度状況等からみて一括して算定したり、或いは概括的に一律で一日当りの平均金額を求め居住期間に応じて算定することは、本件の特殊性に鑑み、必要かつやむをえないものとして許容されるものといわざるをえない。
(二) 各工区の工法・工事期間と慰藉料額との関係
本件地下鉄工事の施工方法と慰藉料額との関係について言及すると、第六工区においては、今迄に説示して来たとおり、同工事区間全長二七〇メートルのうち、大川東側の一六メートル(本件で特に問題とされているのはこの工区の工事である)、西側の一八メートルが他工区と同様のオープンカット工法により施工され、他はケーソン工法で施工された。
ところで、右工法中、ケーソン工法による工事が同工区沿道居住の原告らに対しどの程度の精神的損害を現実に与えたか、それが受忍限度内のものか否かについては、本件証拠上は必ずしも明らかではないが、同工事によっても騒音・振動等の発生とそれによる被害がなかったとはいえないうえ、同工区においても右範囲内では現実にオープンカット工法により工事が行なわれ、更に本件地下鉄工事後に被告白石により共同溝工事が他の工区と同様に行なわれ、同工区沿道居住の原告らは主として同工法の工事現場付近の居住者(弁論の全趣旨により明らかである)であって、他工区沿道居住の原告らと同様の被害を訴えている(隣接工区の工事による被害もあるが)のであるから、他に特段の事情の認められない本件においては、同第六工区の沿道居住の原告らについても右慰藉料算定基準により右工事の騒音・振動等によって被った精神的被害に対する慰藉料額を算定することとした。
更に、工事期間との関係で言及すると、別紙都島地下鉄工事時系列表のとおり、万国博覧会が開催されると各工区共概ね工事を中断し、第六工区は昭和四五年七月三〇日に工事を再開したほかは、第八及び第九工区は昭和四五年九月二一日、第七工区は昭和四五年一一月四日といずれも万国博覧会開催期間終了後にそれぞれ本件地下鉄工事を再開するに至ったが、本件地下鉄工事の日数計算上は現実の右工事中断期間の差異にかかわらず各工区共通して一律一八〇日(工事中断中における本件地下鉄工事現場の状況とそれによる原告らの生活支障の程度等の被害状況をも考慮して)を工事中断日数として控除することとした。
なお、第六工区については、昭和四五年七月三〇日より工事を再開施工しているので、他の工区と比較して工事中断日数も少ないが、同再開工事が主としてケーソン工法によるものであって、その騒音・振動等による被害の程度状況が開削工法によるものより少ないこと等を考慮して他の工区と同様に一律一八〇日を工事中断日数として控除することとした。
(三) 慰藉料額計算方法
(1) 一年(昭和四七年も)は三六五日として計算した。
(2) 一ヶ月のうち、居住開始日の確定しえないものについては、いずれも居住開始日をその月の一六日からとした。
(3) 昼間のみ居住(営業)していた者については、右慰藉料日額の半額とした。
3 原告らの慰藉料額
右慰藉料額算定基準により、被告らが当該原告らに対し支払うべき右精神的被害による慰藉料額は、原告らの本件沿道居住期間中の本件地下鉄工事日数を考慮して、別紙認容金額目録一ないし四の各一、二(工区別・時効完成の有無による区別)の「慰藉料」欄記載のとおり(相続関係については被相続人の慰藉料額を相続分に応じて取得した金額)に認めるを相当とする。
なお、原告らが被告ら提供の一時移転先を利用しなかったとしても、特段の事情の認められない本件においては、原告らが右慰藉料請求権を放棄したものと解することは相当ではない。
二 本件家屋被害による損害
1 揚家工事を前提とした損害賠償請求
前記認定説示のとおり、その程度はともかくとしても、家屋損害の請求に係る原告ら所有家屋が本件地下鉄工事に起因して被害を受けたことは否定し難いところである。そこで、原告ら所有家屋の損害のうち、本件地下鉄工事と相当因果関係にある損害の範囲は暫く措き、まず原告ら主張の建起し揚家工事を前提とした損害を認めるべきかどうかについて検討する。
ところで、合同設計調査(<証拠>)は、現実に揚家工事の実施された原告杉江直巳宅の家屋損傷の程度を基準としてこれと原告ら所有家屋の損傷程度を対比し、揚家工事の必要性の有無を判定しており、原告らはこれを根拠に揚家工事を前提とした損害賠償を請求する。
しかしながら、前述のとおり、被告らが原告杉江直巳宅と原告生山綾子宅についてのみ揚家工事を実施した経緯理由は明らかでないので、原告杉江直巳ら宅の家屋損傷程度を直ちに他の原告らの揚家工事の必要性の判定基準とすることは相当でない。
また、証人内藤義雄の証言によると、建築専門家間でも一般に、揚家工事は、家屋倒壊の危険性があるか、或いは住居としての機能に支障を生じる場合にその適応があるとされ、その際の柱や床の傾斜値等数値上の客観的基準の明示はなく、むしろ揚家工事を実施することは人為的に家屋構造を変形させることでもあるから、これによって家屋に構造上又は機能上思わぬ悪影響を与える場合のあることが指摘されている。
してみると、揚家工事の必要性については、単に家屋の傾斜状況、とりわけ柱や床の傾斜値等によって一律に判断すべきものではなく、個別具体的に各家屋について、家屋損傷の程度・内容、とりわけ家屋倒壊の危険性又は住居としての機能上の支障の有無・程度、更に揚家工事を実施した場合の得失、それに要する費用等諸事情を慎重に比較検討し社会通念に照らし決すべきものと解するのが相当であるところ、当該原告ら所有家屋の前記損傷の程度・内容(本件地下鉄工事前にも傾斜状況がみられた)及び当該原告ら各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨から窺える今日までの修理及び使用状況・更に右家屋の築後経過年数等をも併せ勘案すると、同原告ら所有家屋について右基準に照らし揚家工事の必要性をにわかに肯認することはできず、他に本件家屋の揚家工事の必要性とその相当性を肯認するに足りる証拠もみられない。
そうすると、原告ら所有家屋について、揚家工事を前提とした原告らの損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
2 本件家屋損傷による損害
右原告ら所有家屋の損傷の内容状況、その程度・範囲はともかくとしても、本件地下鉄工事が右損害発生の一因となったこと、そして本件地下鉄工事と右損害発生との間に因果関係の存在が認められることは、前述のとおりである。
したがって、たとえ本件各家屋の揚家工事の必要性、更にそれを前提とした損害賠償が認められないとしても、本件地下鉄工事によって、本件家屋を所有する原告らが何らかの損害を被ったことは明らかである。即ち、原告ら所有の各家屋の前記損傷の程度・状況並びに右原告ら各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告ら本件各家屋の所有者らは、本件家屋の損傷自体による財産的損害、とりわけ家屋の伸び歪み、柱や床の傾斜、柱と敷居・鴨居・梁部との隙間、建具開閉不良・不能等家屋の構造上又は機能上の支障損傷による財産的価値の低下はもとより、右財産上の損害のみによっては評価し尽くせない諸々の損害、即ち、同家屋での日常生活上の不便支障や家屋倒壊のおそれ等の危惧や不安不快感等財産的被害というよりはむしろ右態様による精神的被害、更に同家屋被害自体によって被る純然たる精神的苦痛等の損害を受けたことが推認できる。
そうすると、原告ら本件家屋所有者らは、家屋損傷により財産的損害と精神的損害を併せ受けたものといわざるをえず、これら損害は、むしろ同一加害行為に起因する家屋被害の損害として包括的に評価することが、右原告ら被害者の意思及び損害賠償制度の趣旨に適い相当といえる。
3 本件家屋被害の財産的損害と示談の関係
(一) 被告らの示談解決済の主張
被告らは、本件家屋被害による損害は総て示談解決済であり、原告らから「今後高速鉄道建設工事施工に伴う補償について、大阪市並びに請負人に対し、損害補償の請求、その他一切の異議申立は致しません。」と明記した請書を徴取している旨主張する。
そこで、以下に本件示談成立の経緯内容について検討することとする。
(1) 示談成立の経緯内容
<1> 承継前原告藤井包孝(原告番号八番)所有家屋(不動産目録番号一番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<2> 原告中塚種博(原告番号一一番)所有家屋(不動産目録番号二番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<3> 承継前原告服部禧久雄(原告番号一六番)所有家屋(不動産目録番号三番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<4> 原告根来製作所(原告番号二九番)所有家屋(不動産目録番号四番)関係
<証拠>によれば、本件地下鉄工事完了後、被告大阪市及び被告西松建設の担当者らが同原告会社を訪ね、家屋被害の有無を確認したが、同原告会社からは被害なしとの回答がなされ、その後被告らに対し調停申立て、補償請求のないまま本訴提起に至ったことが認められる。
<5> 原告新宅弘三郎(原告番号三〇番)所有家屋(不動産目録番号五番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<6> 承継前原告辻本秀次郎(原告番号四三番)所有家屋(不動産目録番号六番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談請求の事実を認めることができる。
<7> 原告奥村幸次(原告番号四九番)所有家屋(不動産目録番号七番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<8> 原告澤義雄(原告番号六三番)所有家屋(不動産目録番号八番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<9> 承継前原告西田陽彦(原告番号八七番)所有家屋(不動産目録番号九番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<10> 原告桐本榮一(原告番号九一番)所有家屋(不動産目録番号一〇番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<11> 原告山内勝博(原告番号九二番)所有家屋(不動産目録番号一一番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<12> 原告平林潔(原告番号九六番)所有家屋(不動産目録番号一二番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<13> 原告木下渡(原告番号一一二番)所有家屋(不動産目録番号一三番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<14> 承継前原告山城亀徳(原告番号一一八番)所有家屋(不動産目録番号一四番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<15> 原告磯邊正雄(原告番号一四三番)所有家屋(不動産目録番号一五番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<16> 原告奥村松枝(原告番号一四五番)所有家屋(不動産目録番号一六番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<17> 原告鎌田タニ子(原告番号一四八番)・原告下中孝治(原告番号一四九番)共有家屋(不動産目録番号一七番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
<18> 原告若林寿美子(原告番号一五〇番)・原告若林よし子(原告番号一五一番)・原告若林和子(原告番号一五二番)共有家屋(不動産目録番号一八番)関係
<証拠>を総合すれば、抗弁二の示談成立の事実を認めることができる。
(2) 示談内容
右(1)の事実によると、概ね次の事実が明らかである。即ち、被告大阪市及び被告建設会社らは、本件地下鉄工事が最終段階に達した昭和四七年頃から、本件地下鉄工事沿道住民の家屋被害の調査を開始し、住民から被害の申し出のあるものについて当該個所の点検を行い、双方協議の結果、本件地下鉄工事に起因したと認められる家屋被害について、復旧の補修工事の施工又はそれに代わる金銭支払いにより示談解決し、原告ら家屋被害による損害賠償請求者ら中、原告根来製作所を除くその余の者についてはいずれも家屋補修又はそれに代わる金銭補償で解決済みとされた。
なお、原告株式会社根来製作所については、本件地下鉄工事完了後の右家屋被害の調査確認において、同原告からは被害なしとの回答がなされたので、特に補修又はそれに代わる金銭補償がなされなかった。
したがって、原告ら所有家屋の被害については、右補修又はそれに代わる金銭弁償により一応総て解決済みといえる。
しかし、右示談に際し、本件地下鉄工事に起因した地盤沈下及びそれに伴う家屋傾斜の発生或いは将来の発生により生ずる家屋被害については、原告らも未だ殆ど認識又は予見していなかったので、右修理、更に右請書の作成に際し、これが実際には殆ど考慮されていなかったものといえる。
(3) 示談の効力の及ぶ範囲
次に、本件示談の効力の及ぶ範囲について検討するに、右(1)の示談書(請書)には、いずれも「このたび、大阪市高速鉄道建設工事につき、被害を受けた下記家屋に対する補償を実費弁償金として請負人によって支払いを受けたので、今後高速鉄道建設工事施工に伴う補償について、大阪市並びに請負人に対し、損害補償の請求、その他一切の異議申立ては致しません。後日のために請書を提出致します。」と明記されている(戊第五号証の二では、原告澤義雄が補修工事完了を承認している。)が、本件示談書の効力は、甲第二六号証の四、甲第三〇号証からも明らかなとおり、右請書提出に本件地下鉄工事に明らかに起因すると認められる家屋被害が発生した場合にまでも右効力が及ぶ趣旨でないことはもとより、更に特段の事情の認められない本件においては、契約解釈の一般原則により、本件示談により放棄した損害賠償請求権は、その当時認識又は予見しえた損害に限るものと解すべきであって、その当時予見できなかった不測の損害についてまでもこれを放棄した趣旨とは解されない。
そうすると、右認識又は予見しえた範囲の損害については、本件示談により総て解決されたものといえる。
ところが、右文言自体からはなお当時の損害(認識又は予見できたもの)のうち、いかなる範囲のものが現実に示談解決済みといえるかは必ずしも明らかではない。そこで更に、契約解釈の一般原則に従って右文言を解釈すると、右文言中には、「本件工事に基づき被害を受けた家屋に対する補償を実費弁償金として支払った」ことにより「損害補償の請求を放棄する」と記載され、更に右(1)の関係各証拠によると、右実費弁償金は事前調査に基づく家屋修理工事費のみであること、しかし、その金額は右家屋修理工事費に相当する金額であり被害状況によってはかなりの金額が支払われたこと、被告建設会社側としては被害家屋に関する紛争の一切を総て解決する意図の下に右示談金を支払い、また原告らとしても被告建設会社側の意図を看取してその提示の条件を承認し実費弁償金を受領したうえ本件示談に応じたものであることが認められる。
他方、右文言からも明らかなように、本件示談に際しては、被告建設会社らは原告らの家屋被害を補償するが、本件地下鉄工事の騒音・振動等を違法なものとして、原告らに損害賠償するものではないことを前提としているために、右支払金額は被害の程度・内容に従って見積られた修理費又はそれに代わる実費弁償金額に限られており、被告らが原告らに対し右修理費の他に右損害に評価し尽くせない損害賠償義務のあることなどは全く考慮外とされていたことが明らかである。
してみると、本件示談は、本件地下鉄工事に起因する原告ら所有の家屋被害のうち、示談当時原告らが認識し又は予見しえた財産的損害に限りその効力を有する(具体的には原告らが被告建設会社に提出した修理依頼書記載の修復個所を中心とした損害の範囲)が、その当時予見しえなかった損害、更に本件示談後に本件地下鉄工事に起因して新たに発生した財産的損害についてはその効力は及ばないのみならず、右家屋被害に起因する右のような精神的損害についても本件示談の効力が及ばないものと解するが相当である。
(二) 原告らの本件示談不成立又は無効の主張
(1) 本件示談の効力が右範囲の財産的損害に限るとしても、原告らは縷々述べて、本件示談はその成立過程及び請書作成過程に鑑み原告らの意思に基づくものではないこと等を理由として、本件示談は原告らの真意に反するものであるからその成立自体を否定する旨主張する。そして、原告ら作成の陳述書及び原告らの法廷供述中には右主張に沿う陳述記載又は供述がみられるが、他方本件全証拠によっても、右主張を裏付けるに足りる証拠はみられないのみか、前述のとおり、むしろ右(一)(1)(2)記載の本件示談書作成の経緯、原告らが修理依頼書を提出し補修工事又はこれに代わる実費弁償金の支払いを現実に受けたこと、更にその際同時に作成された依頼書、見積書の記載内容等に照らし考慮すると、原告らと被告建設会社間には原告らの意思に基づき本件請書記載のような示談が成立したことが認められるので、原告らの右主張は採用できない。
(2) 原告らは、現実の家屋被害が当初認識又は予測していたものと比較してはるかに甚大なものであり、他方被告らは、その把握しているデータから地盤や家屋に重大な損傷が生じていることが明らかであるのにこれを秘し、原告らの無知に乗じ詐欺的言辞までも弄して本件示談を成立させたので、本件示談は錯誤或いは公序良俗違反により無効である旨主張する。
しかしながら、本件では被告らが手持ちの測定データを総て原告らに開示すべきか否かはともかくとしても、それ以上に本件全証拠を仔細に検討しても原告ら主張の右事実を認めるに足りる証拠はなく、むしろ、<証拠>によれば、被告大阪市主張のとおり、本件地下鉄工事が概ね完了し、被告大阪市及び被告建設会社らが本件沿道家屋の被害調査を開始した時期には、原告らは既に被害者同盟を結成し、「同盟ニュース」及び「最終修理調査表」を各戸に配付し、会員に対し補償交渉に潰漏のないよう呼びかけているのであって、例えば「同盟ニュース」によれば、調査は「最終調査」の段階であり、「例え一個所でも修理もれにならないようにあらかじめ調査表をお渡しして記入していただき、それをもとにして三者が調査させていただき完全に修復していただくまでねばりづよく交渉をつづけていきます。」との方針が明記され、一級建築士で被害者同盟のリーダー格であったとみられる原告杉江直巳作成の詳細な記載例・記載要領まで添付されていたことが認められ、これらの事実によれば、原告らとしてもその主張のように応急的暫定的なものではなく、本格的最終的な修理を想定して被告らとの補償交渉に臨んだものと推認される。更に、本件示談の内容も修理箇所の費目・金額等極めて詳細なものとなっており、示談金額も当時としてはかなり多額なものである。
そうすると、本件示談の右成立時期、内容、交渉の経過等から考えて、原告らには本件示談成立過程において「要素の錯誤」というべきものは認められず、また、被告らにおいて社会通念に照らし格別容認できないような違法不当な術策を弄したことを認めるに足る証拠もなく、更に、被告らが原告ら被害者の無知・困窮に乗じて著しく低額で本件示談をさせたなどいわゆる公序良俗違反の諸事情もみられないので、原告らの右主張はいずれも採用できない。
(3) 訴訟上の信義則違反・権利濫用の主張について
原告らは、被告らが本件で示談成立の抗弁を提出すること自体信義則に反し権利の濫用にあたる旨主張する。
しかし、前記(1)・(2)認定説示のとおり、本件示談には錯誤又は公序良俗違反に当る諸事情も肯認できず、これが有効に成立したものと解されるので、他に特段の事情の窺えない本件においては、被告らが本訴においてこれを抗弁として主張すること自体信義則違反・権利濫用とはいえない。
してみると、原告らのこの点に関する右主張は採用できない。
(三) まとめ
以上の次第で、原告らが本件地下鉄工事に起因する家屋損傷によって受けた損害のうち、財産的損害については、本件示談成立時に認識し又は予見しえたものに限って本件示談により総て解決済とされたものといわざるをえない。
4 家屋被害による損害の概括的認定
(一) 各家屋被害の個別的具体的立証の困難さ
原告らが本件地下鉄工事による家屋被害として主張する損害については、その調査が本件地下鉄工事完成の約六年ないし一〇年後に行われたものであり、その間本件家屋側において存在する諸事情又は本件地下鉄工事以外に起因する諸事情が本件家屋損傷の発生拡大に競合的に作用したことは否定できないので、原告ら本件家屋損傷は本件地下鉄工事が一因となって招来したことが肯認されるとしても、右諸事情と経年事情を考慮すると、本件地下鉄工事中又はその直後など本件地下鉄工事に起因した家屋損傷と推認しうる高度の蓋然性のある時期であればともかくとしても、その約六年ないし一〇年余後の調査により判明した右家屋損傷につき、本件地下鉄工事の影響度合とそれによる損害の範囲・内容・程度を各家屋につき具体的に特定立証することは不可能又は極めて困難であり、事実原告らもこの点の個別的具体的な主張立証もしていないし、また本件においては、この関係を少なくとも一応推定させる証拠資料もみられない。
してみると、原告ら主張の家屋被害による前記損害のうち、本件地下鉄工事に起因して発生した損害の範囲・内容、更に同損害のうちでも、本件示談解決済といえないもの、即ち、本件示談成立時に認識又は予見できなかった損害、或いは本件示談後に明らかに本件地下鉄工事に起因して発生した損害の範囲・内容・及び本件示談により評価し尽くせない損害等が個々具体的に主張立証されていないので、原告ら所有の家屋被害による賠償請求は、個々具体的にみれば損害の特定立証が不十分といわざるをえず、この点からは原告ら主張の損害賠償請求を個々具体的に認容することはできない。
(二) 家屋損害の概括的認定の相当性
そこで次に、このような場合、原告らの家屋被害による損害が特定立証不十分として認容されないとしても、家屋被害による右損害のうち、本件各家屋に共通して発生した家屋損傷の原因と程度・状況等からみて経験則に照らし通常明らかに本件地下鉄工事に起因したものと推認しうる共通最少限度の損害の範囲で、しかも右示談により評価立証し尽くせない諸々の損害をも加味して包括的かつ定量的に評価認定することは、損害賠償制度の趣旨に適うものであり、かつ、たとえ原告らがこれを右趣旨・名義等で明示的に請求していない場合であっても、弁論の全趣旨よりみて原告らの意思に反するものとはいえない。なお、本件示談の効力が右請求を妨げるものでないことは右に述べたとおりである。
更に、訴訟法的な観点からみても、単一の権利侵害行為に起因する財産上の請求と精神上の請求とは、原因事実及び被侵害利益を共通にするものであるから、その賠償請求権は一個であり、その両者の賠償を訴訟上あわせ請求する場合にも訴訟物は一個であると解するのが相当であり(最一小判昭和四八・四・五民集二七巻三号四一九頁参照)、したがって、本件地下鉄工事に起因する家屋損害のうち、右のような財産的損害として立証評価し尽くせない損害も慰藉料などとして包括して算定するとしても、慰藉料の補完的機能から、また訴訟法の観点からも許容され、請求総額を超えない限り民訴法一八六条に反しないし、その基礎たる諸事情が当事者の主張立証によるものである以上弁論主義に反するものでもない。
5 家屋損害の内容
(一) 認定基準
本件において、原告らが被告らに対し賠償請求できる右趣旨の原告らの各家屋損害としては、本来は、原告らの家屋損害のうち、本件地下鉄工事と相当因果関係にある前記包括的諸損害から既に本件示談解決済と解すべきものを控除した損害に限るものと解すべきである。そして前述のとおり、同損害を特定して個々具体的に認定評価できない本件においても、本件訴訟の特性に即してみる限り、原告らの家屋損傷の発生時期とその態様・内容等からみて、経験則に照らし少なくとも本件地下鉄工事に起因して発生拡大したと認められる損害のうち、本件示談との関係では評価し尽くせない、しかも立証関係では少なくとも各家屋に共通した最少限度の損害に限って認容することは許容されるべきである。
ところで、本件において右損害の範囲・内容を現実に具体的に確定するに当たっては、原告らの主張自体から、更に本件家屋損傷の程度・状況からも明らかなように、その損害の発生時期とその種類と程度・内容からみて、主として地盤沈下に起因した家屋傾斜に伴う家屋のずれ、歪み、柱や床の傾斜及びそれらに伴う家屋の損傷、更に建具等の開閉不良又は不能等各家屋に類似共通して見られる構造上又は機能上の損傷支障を中心内容とする前記包括的損害であることから、まず本件地下鉄工事自体に伴う振動・地盤沈下と右被害の態様・内容との間に損害発生の時期及び内容上高度の相関関係が要求される反面、原告らの各家屋の建築後本件調査時に至るまでの二〇余年の長期間にわたる本件地下鉄工事以外に起因する諸要因、即ち、原告ら各家屋の建築時期とその基礎と構造の程度・状況等からみて通常生ずるとみられる経年変化及び居住使用に伴う自然損傷の程度・内容、更に原告らの家屋沿道の交通振動等本件地下鉄工事以外に起因する一切の振動による家屋損傷、また地盤沈下にしても以前から継続して生じていた自然沈下による家屋損傷、更に家屋傾斜にしても、本件地下鉄工事時までの家屋傾斜の程度・内容とその後にも推認される傾斜状況等、本件地下鉄工事によるものとして原告らの家屋損害に反映させるべきでない多種多様の諸事情が右家屋損傷の発生拡大に競合して影響寄与して来たことも否めない点に鑑み、本件地下鉄工事に起因して発生拡大したことの高度の蓋然性の認められる共通最少限度の損害としては、原告らも主張する家屋の傾斜、即ち、本件地下鉄工事に起因して発生したことの単的自然な発現形態としての柱及び床の本件地下鉄工事現場方向への傾斜の程度・状況(工事前に既に工事現場側に傾斜した傾斜値は控除した)、それに伴う家屋の伸び及びそれらにほぼ即応した家屋被害の程度・状況を主たる損害算定の基礎(各家屋の特殊原因事情は一応考慮外とする)とし、かつ今迄に述べて来た諸事情をも斟酌(本件地下鉄工事以外の事情による損害については控除するのが相当)して、本件調査時において右示談により評価立証し尽くせない包括的な財産的・精神的損害を認定することは相当なものとして許容されるべきである。
なお、右方針の下に原告ら所有の家屋損害を認定することになると、原告らの右損害は現実の損害額よりも少額で控え目な額とならざるをえないが、原告らにおいて個々具体的な現実の損害を立証しない以上はやむをえないところである。
そこで当裁判所は、右基本方針の下に、原告らの家屋の本件地下鉄工事現場側への床及び柱の最大傾斜値(一〇〇〇ミリメートルにつき)並びに各部の伸び等による損傷を中心に右諸事情(工事前の損傷の程度状況、とりわけ工事現場方向への柱及び床の傾斜値は控除し、また本件示談の内容と修理の有無程度もその後の家屋損傷に影響する事情としてこれらを含めて)を総合考慮し、本件示談に現われた損傷程度と修理見積額等をも参照して損害額を算定することが相当と解するが、本件原告ら所有の家屋損害について、基本的には右傾斜値の総和が一〇〇〇ミリメートルに対し三〇ミリメートルを超えるものにつき損害金一〇〇万円、右総和が二〇ミリメートル以上三〇ミリメートルまでのものは損害金八〇万円、右総和が二〇ミリメートル未満のものは損害金六〇万円を一応の基準とし、そのうえ原告ら所有家屋の右伸びその他の損傷の程度状況及び事情に応じてそれぞれの損害額を個別に認定評価することとした。
なお、右損害認定に当たって、原告ら家屋が本件地下鉄工事現場方向とは明らかに別異の方向に傾斜しているとみられる場合には、本件地下鉄工事との因果関係を肯認すべき特段の事情の認められない限りは、本件地下鉄工事の地盤沈下に起因して発生した傾斜とまではいえないものとして、同傾斜値を直ちに家屋損害の算定基礎とはしないこととした。しかし前述のとおり、右家屋損傷が本件地下鉄工事の影響によるものであることが否定できない(家屋所在と損傷発生の時期内容よりみて)ものについては、右の場合にも右損害金六〇万円の限度で家屋被害として認定評価することとした。また一般に、傾斜値が同一の場合でも、建物階数により損害の程度・状況に差異を生ずることは明らかなので、三階建以上の建物については一階増す毎に損害金一〇万円を加算することとした。
(二) 原告ら所有家屋の損害額
そこで、原告ら所有の家屋損害額を右基準に従って個々具体的に認定することとするが、原告ら所有家屋の建築時期及びその基礎と建物構造の程度・内容、建築後の経過年数と本件地下鉄工事直前の調査時及び同工事後の調査時、更に本件調査時の各損傷の程度・内容の比較、とりわけ本件地下鉄工事直後の原告ら所有家屋の損傷の程度・状況と本件示談内容、同示談の効力範囲については、これまでに認定説示したとおりである。また、関係原告ら各本人尋問の結果に加えて、右各調査時の家屋損傷の程度・内容を対比検討すると、本件合同調査時の少なくとも右限度の損害はいずれも本件地下鉄工事に起因する損害といえるが、前記認定説示のとおり、本件示談時には原告らが認識し又は予見しえなかったもの、或いは同損害は本件示談後に発生したもの(本件示談当時は、本件地下鉄工事による地盤沈下又はそれに伴う家屋損害が後日徐々に発生拡大して行くことは認識又は予見されずに示談解決した。)と解されるので、本件示談により解決済みのものとはいえない。
なお、原告らが本件家屋被害による損害賠償請求権を行使するために多額の調査費を要したことは弁論の全趣旨より明らかであるが、前述のとおり被告らが本件地下鉄工事後の家屋被害状況の調査を十分に行ったとはいえなかったことに加えて、本件事案の性質内容及び請求認容額等よりみて、右調査費中各家屋につき一〇万円の限度で本件家屋被害による損害賠償請求権の行使に必要な損害金として被告らに請求しうるものと解するのが相当である。
そうすると、右のような諸事情の下で右基準の下に、かつ本件に現われた一切の事情を総合考慮し各家屋損害額を認定すると、原告らの家屋損害額は、別紙家屋損害状況及び損害額一覧表(括弧内は調査費一〇万円を加算した額)に基づく、別紙認容金額目録一ないし四の各一記載の「家屋損害金」欄記載のとおり(相続人については被相続人の損害額を相続分に応じて取得した金額)と認めることが相当であり、その余の請求は名目の如何を問わず認容することは相当でない。
三 本件損害賠償請求権と消滅時効
1 消滅時効の援用
被告大阪市を除くその余の被告らは、仮に原告らの本件損害賠償請求権が認められるとしても、原告らが本訴中、甲事件を提起したのは昭和五五年一一月二二日、乙事件を提起したのは昭和五六年四月一八日、丙事件を提起したのは昭和五九年一月一八日であって、右損害賠償請求権の消滅時効の起算日として、遅くとも本件不法行為である本件地下鉄工事が完了した日、即ち被告白石については昭和四七年一二月三一日、被告西松建設及び被告栗本建設については昭和四八年三月三一日、被告松村組については昭和四八年七月一五日からそれぞれ三年を経過した日をもって右損害賠債請求権の消滅時効は完成したといえるから、本訴において右消滅時効を援用する旨主張する。
しかして、右甲・乙・丙各事件が右被告ら主張の日に提起されたことは本件記録上明らかであり、また、第六工区については昭和四七年一二月末日に、第七及び第九工区については昭和四八年三月末日に、第八工区については昭和四八年七月一五日に本件地下鉄工事(土木工事)が完了したことは前記認定説示のとおりである。
そうすると原告らの損害賠償請求権のうち、本件地下鉄工事の騒音・振動等による慰藉料請求権については、継続的な本件地下鉄工事の騒音・振動等を全体として一個の不法行為とみて、その騒音・振動等の発生する土木工事の完了日である被告白石については昭和四七年一二月三一日、被告西松建設及び被告栗本建設については昭和四八年三月三一日、被告松村組については昭和四八年七月一五日をもって右損害賠償請求権の消滅時効の起算日と解するのが相当であるから、右本件訴訟(甲・乙・丙)提起に至るまでに消滅時効期間は既に経過したものといわざるをえない。
しかし一方、本件地下鉄工事に起因する家屋被害の損害賠償請求権については、右家屋被害が前述のとおり他原因とも競合しつつ本件地下鉄工事に起因し徐々に継続して発生拡大して来たという特異な事情に鑑みて、その消滅時効の進行に関し、原告らが損害の程度・内容及び加害者を具体的に知り、かつ一般に、原告らに右損害賠償請求権の行使を期待することが合理的に可能となったと解される時点をもって右消滅時効の起算日と解すべきところ、前記認定説示のとおり、合同設計による家屋被害の本調査結果が出されたのは昭和五四年一〇月付(甲第一〇号証の一)、昭和五五年三月付(同号証の二)、昭和五五年六月付(同号証の三)各報告書、または昭和五八年一二月付各報告書(甲第四三号証の一、二)によるものであるから、原告らが右報告により同人らの家屋被害が被告ら施工の本件地下鉄工事により発生したことを少なくとも右程度に知ったとされる日は右報告書提出日と解すべきであるところ、当該原告らはいずれもその後明らかに三年以内の日である昭和五五年一一月二二日(甲事件)、又は昭和五九年一月一九日(丙事件)にそれぞれ本件家屋被害による損害賠償請求訴訟を提起したことは本件記録上明らかなので、右損害賠償請求権の消滅時効は右訴えの提起により中断され未だ完成していないものというべきである。
2 消滅時効の中断
原告らは、本件地下鉄工事の騒音・振動等による慰藉料請求事件について、大阪府公害審査会に被告大阪市を相手に調停申立て又はこれに対する参加申立てをしたので、右消滅時効は中断した旨主張する。
そこで検討するに、前記第五で認定説示のとおり昭和四七年一〇月二三日、都島本通一丁目から守口市本町三丁目にかけての住民二五名が大阪府公害審査会に被告大阪市を相手方として調停申立てを、更に昭和四八年一一月二六日沿道住民二一六名が同調停事件に参加申立てをし、その後調停期日が何回も繰返されたが、調停成立の決着をみず、昭和五五年一一月二二日には、原告らが本件訴え(甲事件)を提起し、その後の昭和五六年五月二六日の第八回調停期日以降の期日は追って指定のままとなった。
ところで、公害紛争処理法三六条の二は、同法三六条一項の規定により調停が打ち切られ、又は同条二項の規定により調停が打ち切られたものとみなされた場合において、当該調停の申立てをした者がその旨の通知を受けた日から三〇日以内に調停の目的となった請求について同法四二条の一二第一項に規定する責任裁定を申請し、又は訴えを提起したときは、時効の中断及び出訴期間の遵守に関しては、調停申立時に、責任裁定の申請又は訴えの提起があったものとみなす旨規定している。したがって、消滅時効期間の進行に関しては、調停申立時に消滅時効の中断の効力が生ずることになる。そうすると、本件では調停自体は打ち切られないままで本件訴えが提起されたものであり、同法三六条の二所定の調停打切りそのものではないけれども、弁論の全趣旨によれば、実質的には右調停手続の打切りと同視される状態にあり、当事者のおかれている利益状況は同法三六条の二の規定する場合と実質的に異なるところはないので、同条を準用ないし類推適用すべきものと解するのが相当であり、調停申立てに係る原告らについては調停申立時に本件慰藉料請求権の消滅時効が中断しているものと解すべきである。また、後に右調停手続に参加申立てをした原告らについて、被告らは、係属中の調停に参加したのみでは、時効中断の効力は生じない旨主張するけれども、そのように解すべき理由はなく、むしろ、係属中の調停手続への参加の申立て(同法二三条の四第一項)がなされた場合には、同法三六条の二の適用については、参加申立て時に参加申立てに係る請求について調停申立てがあったものと解するのが相当である。
3 消滅時効の援用につき権利濫用の主張について
ところで、原告らは、消滅時効期間の経過した右慰藉料請求権につき、調停申立て等をしなかった経緯及び事情並びに右被告らの賠償責任履行の不誠意につき縷々述べて、被告大阪市を除くその余の被告らの消滅時効の援用は信義則に反し権利濫用である旨主張する。
しかしながら、原告らの主張するところは、要するに、その第一点として、右被告らの本件地下鉄工事は原告らの犠牲において行われた違法な工事であり、それに起因する原告らの被害は受忍の限度を超えたもので損害賠償義務があるのに、右被告らが誠意ある被害弁償をすることもなく徒に日時の経過を待って消滅時効を援用しその責任を免れんとすることは、信義則に反し権利濫用として許されないというものであるが、前記認定のとおり、右被告らが本件地下鉄工事完了後に右原告らと本件示談折衝をしたこと、原告らは本件調停申立て又はその参加申立ては容易にできたこと、被告らが原告らの本件損害賠償請求権の行使を妨害したと認めるべき特段の事情もみられないことをも併せ考えると、原告ら主張の右事情は直ちに消滅時効の援用を妨げる事情とはいえない(違法・責任事由が直ちに消滅時効の援用を妨げる事由となるものではない。むしろ時効中断を妨げる事由の有無こそが問題とされるべきである)。また右第二点として、被告建設会社には原告らの調停申立て又はこれに対する参加申立てを妨害又は困難とする個別的事情があったことを理由とするが、右原告らと被告建設会社ら間に右原告ら主張のような事情があったとしても、右原告らは当時既に被害者同盟を結成していたのであるから、被告大阪市を相手方とした調停申立て又はこれに対する参加申立てを妨げる正当な事由があったとはいえず(少なくとも右参加申立ては容易にできたはずである)、更に右第三点として、原告らには調停申立て又はこれに対する参加申立てが困難な個人的事情があったことを理由とするが、右原告らが右申立てをしなかった個人的事情も被告らの行為に起因したやむをえない事情ともいえない。
してみると、右被告らの消滅時効の援用が信義則に反し権利濫用に当たるものとはいえないので、この点に関する右原告らの右主張は採用できない。
4 被告建設会社の消滅時効は中断しないという主張について
被告大阪市を除くその余の被告建設会社らは、共同不法行為者が負担する損害賠償義務は、いわゆる不真正連帯債務であって、連帯債務ではないから、連帯債務に関する民法四三四条の規定は適用されず、被告大阪市に対する時効中断の効力は被告建設会社らに対しては及ばない旨主張する。
しかしながら、共同不法行為者が負担する損害賠償債務については、民法七一九条では共同不法行為者が各自連帯してその賠償責任を負わなければならない旨規定しているが、一般には同債務は連帯債務ではなく不真正連帯債務と解されている。そして右のように解する根拠として、共同不法行為者間には必ずしも連帯債務におけるような密接な主観的共同関係があるとは限らないのに、これを前提とした連帯債務の絶対的効力に関する規定を適用することは被害者の保護に失するというものである。
そうすると、被告大阪市と被告建設会社間には前述のような契約関係により連帯債務におけると同様に本件地下鉄工事完成のための密接な主観的共同関係があり、また本件において、民法四三四条を適用して時効中断の効力を認めることは右解釈の根拠とされた被害者の保護にも適うこととなる。
してみると、本件においては、原告らの調停申立て又はこれに対する参加申立てにより被告大阪市を除くその余の被告らとの関係においても、本件工事に起因する損害賠償債権は時効中断したものと解するのが相当である。
なお、被告建設会社らの援用する最高裁判所昭和五七年三月四日判決は、本件とは事案を異にし適切ではない。
以上の次第で、被告大阪市を除くその余の被告らとの関係においては、調停申立て又はこれに対する参加申立てに係る別紙調停申立人(又は参加申立人)目録記載の原告らの騒音・振動等の慰藉料請求権に限って消滅時効は中断したものといえる。
四 弁護士費用
原告らが本訴の提起・追行を原告ら代理人に委任したことは本件記録上明らかであり、本件事案の性質内容、審理経過と期間、被告らの誠意と応訴状況、前記認容額等本件にあらわれた諸般の事情に照すと、原告らが被告らに対し、被告らの責任事由と相当因果関係にある損害として賠償請求し得る弁護士費用は各原告ら当り認容額の一割をもって相当と認めることができ、各原告についての認容額は、別紙認容金額目録一ないし四の各一、二の「<3>弁護士費用」欄記載のとおりとなる。
五 遅延損害金
本件地下鉄工事に起因する本件慰藉料請求権は、本件不法行為時に発生し、かつ遅滞におちいるものと解すべきであるから、本件慰藉料請求権のうち、本件地下鉄工事の騒音・振動等による損害賠償請求権については遅くとも不法行為後(本件地下鉄工事のうち主体工事完成後)である昭和四八年九月一日から、また、本件家屋被害による損害賠償請求権については遅くとも右損害発生の事実が明らかとなりその権利行使として本件訴状が被告らに送達された日(甲事件については、被告大阪市、被告松村組、被告栗本建設にはいずれも昭和五五年一二月二〇日、被告白石、被告西松建設には昭和五五年一二月二二日。丙事件については被告大阪市には昭和五九年一月二四日、被告西松建設には昭和五九年一月二五日)の翌日からいずれも支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものと解するを相当とする。
第八 結論
以上判示したところによれば、原告らの本訴請求は、
一 別紙認容金額目録一の一記載の原告らが、被告大阪市及び被告白石に対し、各自、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員及び同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から、同目録「<2>」欄記載の各金員に対し、被告大阪市は昭和五五年一二月二一日から、被告白石は昭和五五年一二月二三日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員の各支払いを求める限度で、また、別紙認容金額目録一の二記載の原告らが、被告大阪市に対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員及び同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から各支払済に至るまで年五分の割合による各金員の支払いを求める限度で、
二 別紙認容金額目録二の一記載の原告らが、被告大阪市及び被告西松建設に対し、各自、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員及び同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から、同目録「<2>」欄記載の各金員に対し同目録原告番号欄記載の原告番号一四三、一四五、一四八、一四九番の原告らについて、被告大阪市は昭和五九年一月二五日から、被告西松建設は昭和五九年一月二六日から、その余の原告ら(右<2>欄に対応する)について、被告大阪市は昭和五五年一二月二一日から、被告西松建設は昭和五五年一二月二三日から各支払済に至るまで年五分の割合による各金員の支払いを求める限度で、また、別紙認容金額目録二の二記載の原告らが、被告大阪市に対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員及び同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から各支払済に至るまで年五分の割合による各金員の支払いを求める限度で、
三 別紙認容金額目録三の一記載の原告らが、被告大阪市及び被告松村組に対し、各自、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員及び同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から、同目録「<2>」欄記載の各金員に対する昭和五五年一二月二一日から各支払済に至るまで年五分の割合による各金員の支払いを求める限度で、また、別紙認容金額目録三の二記載の原告らが、被告大阪市に対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員及び同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から支払済に至るまで年五分の割合による各金員の支払いを求める限度で、
四 別紙認容金額目録四の一記載の原告らが、被告大阪市及び被告栗本建設に対し、各自、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員及び同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から、同目録「<2>」欄記載の各金員に対する同目録原告番号欄記載の原告番号一五〇ないし一五二番の原告らについて昭和五九年一月二五日から、その余の原告らについて昭和五五年一二月二一日から各支払済に至るまで年五分の割合による各金員の支払いを求める限度で、また、別紙認容金額目録四の二記載の原告らが、被告大阪市に対し、同目録「<1>ないし<3>合計額」欄記載の各金員及び同目録「<1>小計額」欄記載の各金員に対する昭和四八年九月一日から支払済に至るまで年五分の割合による各金員の支払いを求める限度で、
それぞれ理由があるから正当としてこれらを認容し、原告森茂雄の請求及びその余の原告らのその余の各請求は、いずれも理由がないから失当としてこれらを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小林一好 裁判官 光本正俊 裁判官 小澤一郎は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 小林一好)